ラワ族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラワ族は南亜系の民族で、紀元前後にミャンマーのマルタバン湾からサルウィン川を遡り、チベット系民族と混ざった後、3世紀頃にタイのチェンマイ平野に進出した。 タイのチェンマイ平野に古くから民族国家を築いた先住民族で、ランプーンにモン族がハリプンデャイ王国を造る以前に、マラッカ国を築いたが、8世紀中ばモン族の進出に因ってその勢力は衰退した。ランナー(北部タイの旧称)史にはチェンマイを造ったマンライ王の、祖先ラワチャンクラワート(ラワジャカラート家の始祖)はラワ族だとされマンライ王もラワ族としている。
言語はモン・クメール語続に属し、古くから製鉄技術に優れチェンマイ平野には現在も其の跡が見える。耕作では陸稲のジャポニカ種(通称赤米)が古く、後には水稲を栽培した。 ラワ族独自の武器には サナオ と言う変形槍(投げても使える)がある。 村落には ナーム(タイ語でサオ・バーンとかラック・ムアンと呼ばれる)基柱(ラワ版トーテムポール)が有り、土俗信仰のシンボルとなっている。 統治機構としては 首長をスマング 長老をラーム(現在もチェンマイの田舎にはラームの名が残っており村長を補佐する人を呼んでいる) 慣習の監督をリート 普通の村民はラワである。 記述には最高の大王をダンマラージャ(後で付けた称号) 王をマハラージャ 皇太后をマハー・ティーヴィー 王子をマン・ ダンナラージャ 領主はスックタンで夫人をスッカマラー その他貴族 が有る。
この項目は現在書きかけです、どなたかの協力をお願いします。