リサ・レイモンド
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リサ・レイモンド(Lisa Raymond, 1973年8月10日 - )は、アメリカ・ペンシルバニア州ノリスタウン出身の女子プロテニス選手。長年にわたり、ダブルスの名手として活躍してきた。自己最高ランキングはシングルス15位、ダブルス1位。身長165cm、体重55kgで、女子テニス選手としては小柄な体格の選手である。これまでにWTAツアーでシングルス4勝、ダブルス56勝を挙げる。
1993年5月にプロ入り。レイモンドはこの年、ウィンブルドン女子シングルス3回戦で沢松奈生子を 7-5, 6-2 で破った勝利により、早くから日本で知名度を得た。続く4回戦でレイモンドは当時17歳の第7シード、ジェニファー・カプリアティに 6-4, 3-6, 6-8 の逆転で競り負けた。(この頃、カプリアティは公私両面で危機的な状況に追い詰められていた。)当時のレイモンドは、フロリダ州立大学で法学を勉強中の学生プロテニス選手であった。それ以来、レイモンドは4大大会のシングルスで安定した成績を維持している。1993年ウィンブルドン以来、レイモンドが女子シングルスを欠場したのは1995年の全仏オープンだけである。シングルスでの自己最高成績は、2000年ウィンブルドンと2004年全豪オープンで2度ベスト8進出がある。ごく最近のシングルス好成績であった2004年の全豪オープンでは、3回戦で長期の故障から復帰してきたヴィーナス・ウィリアムズを破って注目を集めたが、準々決勝でスイスのパティ・シュナイダーに 6-7, 3-6 で敗れた。(女子ダブルスの「キャリア・グランドスラム」を完成させた2006年全仏オープンでは、シングルスは1回戦で第12シードのマルチナ・ヒンギスに敗れている。)
リサ・レイモンドはダブルスの名手として多くのタイトルを獲得してきたが、長年にわたって息を合わせてきたパートナーはオーストラリアのレネ・スタブスであった。レイモンドのダブルス初優勝は、1993年9月第4週に日本の「ニチレイ・レディース」で同じアメリカのチャンダ・ルビンと組んだ勝利である。翌週もレイモンドとルビンは日本のトーナメントに出場し、「札幌オープン」の女子ダブルス準決勝で神尾米と雉子牟田直子のペアに敗れたことがあった。1996年からレイモンドはレネ・スタブスとのペアで優勝が増え、ダブルスの達人としての道を歩み始める。1993年のニチレイ・レディースから始まり、毎年2月に東京体育館で行われる「東レ・パン・パシフィック・テニス」のダブルスでも2001年、2002年、2006年及び2007年の4度優勝がある。他のダブルス・パートナーではリンゼイ・ダベンポートとペアを組んだ優勝も多く、ダブルスで現役復帰したベテランのマルチナ・ナブラチロワと組んだ優勝も2つある。2005年から、レイモンドはほとんどの大会でオーストラリアのサマンサ・ストーサーとペアを組んでいる。レイモンドとストーサーの組は同年の全米オープン女子ダブルスで初優勝を飾り、2006年の全豪オープン女子ダブルスでは中国ペアの鄭潔&晏紫組に敗れて準優勝になったが、全仏オープン女子ダブルス決勝で杉山愛とダニエラ・ハンチュコワの組を 6-3, 6-2 で破って優勝した。レイモンドにとっては、これで女子ダブルスの「キャリア・グランドスラム」が完成したことになる。
[編集] 4大大会ダブルス成績
- 女子ダブルス:5勝(全豪オープン1勝:2000年、全仏オープン1勝:2006年、ウィンブルドン1勝:2001年、全米オープン2勝:2001年&2005年)
- 混合ダブルス:4勝(全仏オープン1勝:2003年、ウィンブルドン1勝:1999年、全米オープン2勝:1996年&2002年)