リンカーン郡戦争
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リンカーン郡戦争(Lincoln County War)は、1870年代後半のアメリカ西部の辺境で起きた事件のこと。当時のニューメキシコ準州のリンカーン郡で発生した、二つの派閥の間の一連の紛争事件を指す。この「戦争(War)」は、裕福な牧場主が率いる派閥と、独占的な雑貨店の経営者が率いる派閥との間で起こった。牧場主側の派閥にビリー・ザ・キッドがいたことで有名な事件である。
[編集] 事件に至る背景
[編集] タンストールの派閥(牧場主)
24歳のジョン・タンストールは、イギリス人の牧場主で、地域の銀行家かつ商人だった。彼と、法律家のアレクサンダー・マクスウィン、地域に莫大な頭数を抱える有名な牛飼いのジョン・チザムの3名は、マーフィーの派閥のギャング「ザ・ボーイズ」に対抗するため、乱暴者の徒党「レギュレーターズ(整理屋)」を率いており、この中にビリー・ザ・キッドも含まれていた。タンストールは「ザ・ハウス」の真向かいに雑貨店を開き、チザムから買った牛を納品した。チザムは、以前からマーフィー派を快く思っていなかったのでタンストールに協力した。
[編集] マーフィー、ドランの派閥(雑貨店)
一方では、同じ郡にアイルランド人のローレンス・マーフィー (L・G・マーフィー & カンパニーの創設者)とJ・J・ドラン (ジェームス・ドラン)が、もうひとつの強大な閥を率いていた。マーフィーとドランのパートナーにはジョン・H・ライリーがいた。ドランとライリーは、地域の物資、商売を事実上独占していた雑貨店「ザ・ハウス」を、郡庁所在地のリンカーンに所有していた。「ザ・ハウス」の経営者たちは、ニューメキシコ州サンタフェの土地の役人とも親密な関係にあり、トーマス・B・カトロンを筆頭とした、地域の法の執行を牛耳る政治/犯罪組織、「サンタフェ・リング」を形成していた。