ルネ・クレマン
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ルネ・クレマン(René Clément、1913年3月18日-1996年3月17日)は、フランスの映画監督。フランスのボルドー生まれ。サスペンス、コメディ、反戦、恋愛映画と、バラエティに富んだ作品を残した。代表作に『禁じられた遊び』『太陽がいっぱい』など。
[編集] 生涯
少年時代から映画に熱中し、パリの美術学校で建築学を学びつつ。16ミリで短編映画を、18歳にして短編のアバンギャルド映画を製作する。陸軍映画班に入り、記録映画の製作に携わる。除隊後の1934年よりカメラマン、助監督として映画界に入り、やがてアニメーション映画、記録映画などを発表。ジャック・タチ脚本・主演のコメディ映画『左側に気をつけろ』(1934)を含む7本の短編を作る。1944年、軍事活動委員会が、第二次世界大戦中、ナチス占領下のフランスの鉄道従業員組合のレジスタンスを描く映画をクレマンに依頼され、1945年のセミ・ドキュメンタリー映画『鉄路の闘い』に結実する。この作品は、独特のリアリズム表現が評価され、第1回カンヌ映画祭グランプリと監督賞に輝き、クレマンの名は一躍有名になる。1951年には、幼い子供たちを通して戦争の無残さを訴えた『禁じられた遊び』を発表。ヴェネチア映画祭金獅子賞とアカデミー外国語映画賞を受賞。1955年にはエミール・ゾラの小説を映画化した『居酒屋』など、評価の高い傑作群を残し、世界的な巨匠となる。1959年、アラン・ドロンを主役にした『太陽がいっぱい』が大ヒット。だが、当時のフランス映画界はヌーベルバーグの勢力が強く、以降は商業映画の監督として認知されるようになる。60年代後半からはスリラーに傾倒し、『雨の訪問者』などの作品を残した。1975年公開の『危険なめぐり逢い』以降は、映画製作から離れる。1996年3月17日死去。享年82。
[編集] 主な受賞
- 1946 : 『鉄路の闘い』でカンヌ国際映画祭グランプリ、監督賞を受賞
- 1949 : 『鉄格子の彼方』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞
- 1950 : 『鉄格子の彼方』でアカデミー外国語映画賞を受賞
- 1952 : 『禁じられた遊び』でアカデミー外国語映画賞、ベネチア国際映画祭金獅子賞、ニューヨーク映画批評家協会賞最優秀外国語映画賞、BAFTA賞を受賞
- 1954 : 『しのび逢い』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞
[編集] 主な監督作
- 左側に気をつけろ(1936)Soigne ton gauche
- 鉄路の闘い(1945)La Battailledu Rail
- 海の牙(1946)Les Maudits
- 鉄格子の彼方(1949)Le Mure di Malapurga
- ガラスの城(1950)Le Chateau de Verre
- 禁じられた遊び(1951)Jeux interdits
- しのび逢い(1954)Monsieur Ripois
- 居酒屋(1956)Gervaise
- 海の壁(1957)Barrage contre le Pacifique
- 生きる歓び(1960)Quelle Joie de vivre
- 太陽がいっぱい(1960)Plein Soleil
- 危険がいっぱい(1964)Les Felins
- パリは燃えているか(1966)Paris brule-il?
- 雨の訪問者(1969)Le Passager de la Pluie
- パリは霧にぬれて(1970)La Maison Sous les Arbres
- 狼は天使の匂い(1972)La Course du lievre a travers les champs
- 危険なめぐり逢い(1975)Unmaledetto pasticcio