ルーム・セルジューク朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルーム・セルジューク朝(ルーム・セルジュークちょう、1077年-1308年)はセルジューク朝の地方政権として分裂して誕生しアナトリア地方を中心に支配したテュルク人の王朝。首都は、1097年以降コニヤ。「ルーム」とは「ローマ」の意味で、もともと東ローマ帝国領であった場所を領土としたことによる。住民も大半が東方正教会を信仰するギリシア人であった。
[編集] 歴史
- 1077年 スライマーンがルーム・セルジューク朝の独立を宣言
- 1086年 スライマーン戦死で一時断絶
- 1092年 息子のクルチ・アルスラーン1世が即位し再建
- 1097年 第1回十字軍によって首都ニカイアを占領され、コニヤに移動。
- 12世紀後半 クルチ・アルスラーン2世のもと勢力を盛り返す
- 1176年 ミュリオケフォアロンの戦いで、皇帝マヌエル1世コムネノス率いる* 東ローマ帝国軍を撃破
- 1192年 クルチ・アルスラーン2世が死去し、国家は分裂状態に
- 1211年 カイホスロー1世がニカイア帝国軍に敗れて戦死
- 13世紀前半 スライマーン・シャーにより再統一。その後、黄金時代へ
- 1243年 モンゴル帝国とのキョセ・ダグの戦いに敗北。属国化へ
- 1308年 マスウード2世の死去により滅亡
[編集] 影響
アナトリアのトルコ、イスラム化が進み、後のオスマン帝国の土台へとなる。
[編集] 歴代君主
- スライマーン・イブン=クタルミシュ(1077年 - 1086年)
- クルチ・アルスラーン1世(1092年 - 1107年)
- マリク・シャー(1107年 - 1116年)
- マスウード1世(1116年 - 1156年)
- クルチ・アルスラーン2世(1156年 - 1192年)
- カイホスロー1世(1192年 - 1196年)
- スライマーン2世(1196年 - 1204年)
- クルチ・アルスラーン3世(1204年 - 1205年)
- カイホスロー1世(2回目、1205年 - 1210年)
- カイカーウス1世(1210年 - 1220年)
- カイクバード1世(1220年 - 1237年)
- カイホスロー2世(1237年 - 1246年)
- (1257年 - 1259年)
- カイカーウス2世(1246年 - 1257年)
- クルチ・アルスラーン4世(1248年 - 1265年)
- カイクバード2世(1249年 - 1257年)
- カイホスロー3世(1265年 - 1282年)
- マスウード2世(1282年 - 1293年)
- (1294年-1301年)
- (1303年-1308年)滅亡
- カイクバード3世(1284年)
- (1293年-1294年)
- (1301年-1303年)