レティーフ・グーセン
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レティーフ・グーセン(Retief Goosen, 1969年2月3日 - )は、南アフリカ出身のプロゴルファーである。2001年と2004年の2度、全米オープンで優勝した実力者である。同じ南アフリカ出身のアーニー・エルスとは若い頃からのライバルであり、親友でもある。世界ランキング自己最高位は3位。
[編集] プロフィール
アマチュア時代に、練習中に雷に打たれて大怪我を負ったことがある。その後も様々な不運に遭い、1994年と1997年の全米オープンで優勝したエルスに比べて、国際レベルに開花するのが遅かった。しかし2001年6月の全米オープンで初日からトップに立ち、その後も好調なラウンドを続ける。最終日の18番ホールで50センチの短いパーパットを外し、マーク・ブルックス(アメリカ)とのプレーオフになったが、それを制してメジャー大会初優勝を飾った。(全米オープンのプレーオフは、最終ラウンドの終了後もう1日[18ホール]ラウンドするシステムになっている。)この優勝を機に、それまで欧州のツアーを中心に活躍してきたグーセンは、米国ツアーに戦いの場を広げることになった。
[編集] 経歴
2001年11月、日本の太平洋ゴルフクラブ・御殿場コースで開催された世界ゴルフ選手権の「EMCワールドカップ」に南アフリカ代表として出場、アーニー・エルスとコンビを組んで優勝した。この時はアメリカを含む4チームによるプレーオフを制している。
2004年に全米オープンで3年ぶり2度目の優勝を果たした時は、同年のマスターズ優勝者フィル・ミケルソンとの一騎打ちを制している。2005年の同大会で、前年優勝者のグーセンは3日目を終えて単独トップに立ち、大会連覇を目前にしていたが、最終日に81(11オーバー)をたたいて失速した
日本のトーナメントに招待選手として出場したこともあり、初来日だった1997年の「ダンロップ・フェニックス選手権」では7位に入っている。2001年のワールドカップ以来の来日となった2004年の「サントリーオープンゴルフトーナメント」でも7位の成績を残した。