ワシリー・スミスロフ
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ワシリー・スミスロフ(Василий Васильевич Смыслов, Vasily Vasiliyevich Smyslov, 1921年3月24日 - )は、ソビエト連邦生まれのチェス世界チャンピオン(1957年 - 1958年)。
モスクワ生まれ。6歳のときに父にチェスを教えられる。1938年ソ連学生チャンピオン。その数ヵ月後にモスクワ・チャンピオン戦に優勝した。アレクサンドル・アレヒンの死によって世界チャンピオンが空位となったので、1948年にマックス・エーワ、サミュエル・ハーマン・レシェフスキー、パウリ・ケレス、ミハイル・ボトヴィニクと新チャンピオン決定戦を戦った。この時はボトヴィニクが優勝し世界チャンピオンとなったが、スミスロフは2位となった。
スミスロフは3度世界選手権戦を行っている。1954年に最初に世界選手権戦に登場した際は7勝10引き分け7敗当時のチャンピオン・ボトヴィニクに引き分け防衛を許したが、1957年にはボトヴィニクを6勝13引き分け3敗で破り世界チャンピオンとなった。だが翌年のリターンマッチで5勝11引き分け7敗でボトヴィニクにタイトルを奪われた。
スミスロフの全盛期はボトヴィニクの全盛期とぶつかったため、「もしボトヴィニクがいなければ長期にわたって世界チャンピオンの座を維持した」と言われている。
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