ワルサーGew43半自動小銃
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正式名称 | Gewehr43/Karabiner43 | |
全長 | 111.7cm | |
銃身長 | 54.9cm | |
重量 | 4.40kg | |
口径 | 7.92mm×57 | |
装弾数 | 10発(箱型弾倉) | |
発射速度 | 775m/s | |
製造国 | ドイツ | |
製造 | カール・ワルサー社 ベルリン・リューベッカー社 グストロフ社 |
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総生産数 | 462,000 (シリアルナンバーからの推計値) |
ワルサーGewehr43半自動小銃 (わるさーげヴぇいあ43はんじどうしょうじゅう:G43)あるいはワルサーKarabiner43半自動小銃(わるさーからびねる43はんじどうしょうじゅう:K43)は第二次世界大戦にナチス・ドイツで開発された半自動小銃である。
目次 |
[編集] 開発経緯
19世紀末から各国では自動装填式の小銃、すなわち半自動小銃の開発が盛んに行われるようになったが、強力な弾薬を使用する歩兵銃の自動化はかなり困難であった。ドイツでは1896年にC96自動拳銃を完成させたパウル・モーゼルが研究を進めていたが、試射時の事故で左眼を失いながら、結局成果を得ることができないまま彼は1914年に亡くなっている。その後、第一次世界大戦の開戦と共に半自動小銃は一層着目されることとなる。それは当時まだ実用化されたばかりの軍用航空機上で使用するためであった。開戦当初の軍用機はまだ機関銃を搭載しておらず、搭乗していた航空兵がお互いボルトアクションライフル銃で撃ち合う状態だった。そこで軍は、より速射のできる小銃を求めてスイスのSIG社のモンドラゴンM1908半自動小銃を15型航空兵用自動装填騎兵銃(Flieger-Selbstladekarabiner15)として採用、輸入に至った。また、モーゼル社でも研究が続けられ、やはり航空機や飛行船の搭乗兵用として1916型自動装填銃(Selbstlader Mod.1916)が完成する。この両者の採用は、地上戦ほどの悪条件下での使用ではない航空兵用だったからこそ可能であったものであり、その機構の複雑さ、重量、そして射撃精度の低さは地上戦用の歩兵銃としては重大な欠点であった。その後軍用機には機関銃が搭載されて空戦ではライフル銃は使用されなくなった一方、歩兵銃としての半自動小銃の研究は継続されたが、重量の増加や埃や泥に弱いといった欠点、さらに軍隊における半自動小銃の用兵枠も確立していなかったことも重なり、新型銃の開発は多難を極めた。
[編集] ワルサーGew43半自動小銃の登場
第一次世界大戦後、ベルサイユ条約下の制約で半自動小銃の研究開発は中断し、本格的に再開されたのは1930年代半ばのことであった。モーゼル社ではG35、ワルサー社ではA115等、多数の試作銃が製作されたが、いずれも十分な成果が出せずに開発は打ち切られている。そんな中で特に興味深いのはハインリヒ・フォルマーが開発したフォルマーM35A自動小銃である。弾薬に中型弾を使用し連射可能だったM35Aは、A35III型まで改良を重ねられて十分な性能を示したものの、結局は1939年の第二次世界大戦開戦前には開発中止が命令されている。これにはコストの問題や主力小銃であるKar98kの増産に集中するためといった理由と共に、軍部に根強かった中型弾や自動小銃への無理解が指摘されている。その一方で、軍は半自動小銃の開発を諦めたわけではなく、開戦翌年の1940年にはワルサー社とモーゼル社に設計条件を提示して半自動小銃の試作を命じている。これに対応して両社が提示したものは、それぞれGewehr41(W)、 Gewehr41(M)と名付けられ、1942年から実戦投入試験が行われた。その結果、より好成績を示したワルサー社製Gew41(W)が1942年12月2日付けでGewehr41(Gew41)として制式採用となった。しかしながらその自動装填ガスシステム等による問題が多く、軍はワルサー社に対して更なる改良を促した。ところで、1941年の6月から始まった独ソ戦ではドイツ軍は多くのソビエト軍の兵器を鹵獲した。その中にはトカレフM1940半自動小銃やシモノフM1936半自動小銃といったソビエト製の半自動小銃もあった。ワルサー社がこれらを十分に研究したのは間違いないところで、よく似たガス圧利用システムをGew41に組み込むことにより、ワルサーGew43半自動小銃が完成されることとなった。
[編集] 生産
正式にGew43が採用されたのは1943年4月30日付けであるが、ようやく量産が開始されたのは10月となってからである。生産を担当したのは、1943年当初はワルサー社のみであったが、1944年からはベルリン・リューベッカー社とグストロフ社の2社が加わった。生産数については、当時の記録は不完全なものしか残されていないが、銃に刻印されたシリアルナンバーを集計した調査によると、全メーカー合計で462,000丁と推定されている。この内訳として、最大の生産社はやはりワルサー社で225,500丁、次いでベルリン・リューベッカー社が194,000丁、残りの40,500丁がグストロフ社である。ブッヘンヴァルトにあったグストロフ社の兵器工場は、1944年8月にV兵器製造工場の殲滅を狙う英空軍の集中爆撃に遭い、壊滅的打撃を受けているため、同社の製造数は最小となっている。 当初の生産品には、機関部左側面にG.43と刻印されたが、1944年4月25日付けで制式名称がKarabiner43と変更されたため、後の生産品にはK.43と刻印されている。上記の生産数は、Gew43、Kar43を合わせた数値である。Kar43については、Gew43の短縮型で全長が5cm短いとか、生産省力化型である等の情報が洋の東西を問わず広く見受けられるが、これは完全に誤りである。確かに戦争末期のものには工程の省略も見られるが、これは名称とは関係なく行われたもので、現存する両者には、刻印以外に大きな違いは見られない。
[編集] 特徴
Gew43のメカニズムは、簡単に言うとGew41で採用されたフラップ・ロック式ロッキング・メカニズムに、トカレフ等ソビエト製半自動小銃に類似したガス・ピストン方式による自動装填システムを組み合わせたものである。弾薬の装填方式は、固定弾倉式のGew41から着脱弾倉式に改良され、10発の容量を持つ弾倉を下から装填できた。銃剣の着剣装置はすべて廃止され、機関部後端右側面にはライフルスコープ用のレールが標準装備とされた。これらのことから、Gew43の狙撃銃としての役割について様々な議論がなされているが、これについては次項で述べる。
Gew43には当然欠点もあった。それは命中精度の悪さと機関部の不具合だった。半自動小銃はガス圧により排莢させる為、薬莢の張り付きが起きた。薬莢の張り付きは半自動小銃では動作不良を意味し、機関部の薬室を通常の小銃に比べて若干拡大させることで安定を図った。また命中精度の悪さだがこれはボルトアクションライフルとは違い半自動小銃ではガス圧の一部分を排莢する力に回す必要があり、その分初速の低下したためである。
[編集] 狙撃銃として
開戦のポーランド戦直後よりすでに、前線からのスコープ付き小銃を求める要望は高かった。これに対して軍はKar98kとZF41スコープの組み合わせを制式化するが、この性能は期待外れに終わりつつあった。そのため軍用狙撃銃としては、Kar98kに民間用スコープを装着したものに頼らざるを得なかったが、これにはスコープ自体の絶対数の不足とKar98kの改造・調整に手間が掛かること等から、慢性的な狙撃銃不足は解消できない状況であった。その下で、Kar98kの後継主力小銃ともなり得る新型半自動小銃に、標準仕様で狙撃銃となるポテンシャルをもたせることがある時点で企図されたことは、十分に納得できる。つまり、同時期に新開発され、量産に適した軍制式ライフルスコープGwZF4(Gewehr Zielfernrohr 4-fach:4倍率小銃用照準眼鏡)と組み合わせることにより、狙撃銃の大量生産を可能とするものと期待されていた。
ここで、Gew43の狙撃銃としての役割に関連する事実関係を整理してみる。
- 量産されたすべてのGew43は、銃剣の着剣装置が付属せず、またライフルスコープ用のレールが標準装備されている。その一方、スコープレールが切除されたものも当時の記録写真で確認でき、その実例も現存している。
- 当時の記録写真では、スコープのある事例ない事例共に確認できるものの、なしの方が明らかに数多く見受けられる。その一方、1944年春製作のある狙撃兵訓練フィルムではスコープ付きGew43のみを使用している。
- 軍発行のGew/Kar43用マニュアルD1865/2には、4バージョン存在するが、そのいずれにおいても銃本体の説明と共に、専用スコープGwZF4(ZFK43)の解説が記載されている。
- 当時のある軍関係資料によると、工場にて生産されたスコープ付きGew/Kar43の総合計は 46,042と記録されており、その数値によれば全生産数の一割程度であったことがわかる。
- 現代のコレクター市場から見ると、銃やスコープ本体そのものよりもオリジナルのスコープマウントの方が希少性が高い。つまり、現存するものが明らかに少ない。(流通するものは、ほとんどが複製品)。
これらを総括すると、完成されたGew43の設計意図としては、それまでのGew41に至るまでの半自動小銃開発の経緯で見受けられるよりも明らかに狙撃銃(スコープ付き小銃)としての役割が重視されている。しかしながら、実際に狙撃銃として運用されながらも、それは結局少数に留まり、大多数は単なる歩兵銃として使用されたと結論付けることができる。それでも、当初Gew43は武装親衛隊や降下猟兵などエリート部隊に優先的に配備され、一般部隊まで支給されるようになったのは、戦争もかなり末期になってからのことである。
当初期待されていた程に狙撃銃として大量使用されなかったことの理由としては、スコープの生産能力が十分でなかったという問題も指摘されているが、結局のところ狙撃銃としては量産品であるGew43とGwZF4の組み合わせは、射撃精度の面でKar98kと民間用スコープの組み合わせに十分匹敵することができなかったという点に尽きる。1944年夏のある文書には、生産総数の5%程度のものしか狙撃銃として求められる十分な精度を有していなかったことが報告されている。 自動小銃というのは、自動に打たれる小さい銃のことである。 トリガーをひくと、連続で弾が発射される。スナイパーなどにはオススメできない。 また、自動小銃と言っても、色々な種類があり、片手用の物から、両手用まで幅広い。さらに、連続発射ではなく、単発にも切り替えられるものもある。
[編集] 総合評価
このように狙撃銃として十分な性能を発揮できなかったGew43であるが、これは銃自体に設計上構造的な欠陥があったためではない。もちろん、そもそも自動小銃自体が狙撃銃に適するかという議論もあろうが、例えば上記報告書においても、Gew43とGwZF4の組み合わせは、Kar98k狙撃銃を超えることまでは無理でも同等の能力まで到達することは可能であると述べている。結局のところ、Gew43の射撃精度については、戦況が次第に切迫していく状況の下で、何よりも銃器の大量生産が最優先されたことに一番の原因があった。しかしながら全般的に言えば、確かに狙撃銃としての精度は得られなかったものの、一般の歩兵銃としての能力は十分であった。操作性は良く、機関部の作動も信頼性が高かった。また、その設計は量産に適していた。直接のライバルであったソビエト製半自動小銃はもちろんのこと、米国のM1ガーランドにすら勝るとも劣らないと評価する意見もあるほどである。この辺りのことは、戦後60年以上たった今日でも米国等ではGew/Kar43の射撃を楽しむ愛好家たちが存在することからも伺えるものである。
[編集] 参考文献
- Weaver, W.Darrin, Hitler’s Garands GERMAN SELF-LOADING RIFLES of WORLD WAR II, Collector Grade Publications, Inc, 2001
- Götz, Hans Dieter, GERMAN MILITARY RIFLES AND MACHINE PISTOLS 1871-1945, Schiffer Publishing, Ltd, 1990
- Senich, Peter R., The German Sniper 1914-1945, Paradin Press, 1982