三好重臣
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三好 重臣(みよし しげおみ、天保11年(1840年) - 明治33年(1900年))は、長州藩の藩士。子爵。通称は軍太郎。別名は会田春輔。
長州藩の藩士雇の子として生まれた。1863年、奇兵隊に入隊して参謀職を務めた。1868年の戊辰戦争では越後方面に進出して武功を挙げている。
明治維新後は新政府のもとで、陸軍大佐、東北鎮台司令長官となった。1877年の西南戦争では、第二旅団長として出陣したが、敵に敗れて負傷している。その後も陸軍中将、第一師団長、枢密顧問官などを歴任した。1900年、61歳で死去。
1884年7月7日に子爵に叙せられる。
なお相続に関して重臣は、放蕩の激しかった長男三好太郎を廃嫡し、太郎の嗣子三好東一に子爵家を相続させている。