三遊亭三福
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初代三遊亭 三福(1865年(慶應2年)2月3日 - 1907年(明治40年)9月4日)は、明治期に活躍した落語家。本名:三橋亀太郎。
幕臣の家に生まれるが幼くして両親と死別。叔父の家で育てられる。遊芸に親しみ10代の時には天狗連に加わっていた。その後三遊亭萬橘門人となり萬楽。後に三好に改名。1890年(明治23年)、2代目柳家小さん(禽語楼小さん)門に移り柳家小山三、さらに2代目三遊亭圓楽(後の三遊一朝)門下で三楽、その後初代三遊亭遊三門に入り三扇、三八を経て、1895年(明治28年)ごろに初代三遊亭三福を名乗る。
落語よりも大師匠圓遊譲りの「ステテコ踊り」や、「ニョロニョロミャア」といった言葉等のいわゆる珍芸で人気を集めた。三福は運動神経を活かして碁盤の上で躍るなどの工夫をした。だが人気絶頂時に神経を病み、それを苦に妻が家出してからは病気は進行。師匠遊三ら関係者の手厚い介護も空しく夭折した。