上東郡
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上東郡(じょうとうぐん・じょうとうのこおり)は備前国にかつて存在した郡である。郡域は全て現在の岡山市に含まれている。
[編集] 沿革 古代~江戸時代
- 上道郡東部を上東郡(じょうとうぐん)として割譲した。
- 備前国内神名帳に上東郡の記載があり、このころにはすでに上東郡は割譲されていた。
- 池田藩が所蔵していた江戸時代前期の備前国地図には、上東郡が記載されている。明治期には上東郡はすでに存在していなかったので、江戸時代前期~幕末までの間に再び上道郡に併合された。
- 上東郡併合後、上道郡は「かみつみち」「じょうとう」の2種類の呼び方をされていたが、郡区町村編制法施行時に「じょうとう」の読み方に統一された。
- 昔は吉井川河口は今よりも川上にあった。また、川筋も今とはだいぶ違っていた。現在は吉井川東岸で旧邑久郡だった瀬戸内市福岡地区付近は、昔は吉井川の西岸で、上道郡に属しており(後に上東郡となる)、このあたりが吉井川の河口だったともいわれる。
- 備前国府は時代によって変遷しているが、備前国の国府が郡内にあったときがあるとされる。岡山市平島・沼・寺山・瀬戸内市福岡付近にあったといわれる。この地域は上道郡・磐梨郡・赤坂郡・邑久郡・上東郡の境界線が集まっている地域である。
- 江戸時代前期から始まった大干拓により新田が作られ、郡域が広がった。
[編集] 郡域
現在の岡山市の旧・上道町地区、旧・西大寺市地区の内の大多羅付近~吉井川、瀬戸内市福岡周辺など