上海租界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上海租界(シャンハイそかい)は1842年の南京条約により開港した上海に設定された租界。当初、イギリス、アメリカ合衆国、フランスがそれぞれ租界を設定し、後に国際共同租界(International settlement)とフランス租界(French Concession)に分かれた。
[編集] 概要
1843年イギリスが上海に土地を租借し、続いて1848年にアメリカ合衆国、1849年にフランスもそれぞれ土地を租借、1854年英米仏が行政を統一して租界となった。しかし、フランスのみは1861年に再び単独租界とし、英米租界は1863年に国際共同租界となった。
1937年に日中戦争が勃発すると実質的に日本軍の統制下に置かれ、1941年太平洋戦争が起こると日本軍は共同租界に進駐し、英米人は抑留された。1943年南京の汪兆銘政権が公式に共同租界、フランス租界を接収した。
共同租界では工部局、フランス租界では公董局が設置され、道路・水道の建設・管理、警察・消防などの行政自治権を行使した。共同租界の中心は上海のバンド地区で、フランス租界の中心は現在の淮海中路にあった。なお、日本では上海北部の虹口地区を日本租界とよんだが、虹口は日本人居留者が多いだけで正式の租界ではなかった。