上田騒動
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上田騒動(うえだそうどう)とは、1761年に起こった農民一揆である。信濃上田藩(藩主松平忠順)の農民約一万三千人が上田城へ押し掛けた。この一揆での願いは、年貢の軽減、農民を人足として使う事をやめる、検見の役人の不正の取り締まりであった。
この一揆の首謀者は、夫神村(現長野県青木村)の清水半平、中沢浅之丞、西戸太郎兵衛であり、半平と浅之丞は死罪、太郎兵衛は永牢となった。
参加した農民は、夫神村、田沢村、当郷村、村松郷、入奈良本村、下奈良本村(以上現青木村)、川西、諏訪部、別所、福田、舞田(以上現上田市)、千曲川東岸の農民がほとんどであった。農民が入城したとき城主は江戸に出府中で、家老の岡部九郎兵衛が代わりに願いを聞いた。 その翌日に、農民達は城下町で打ち壊しを行った。