中川秀政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中川 秀政(なかがわ ひでまさ、1568年(永禄11年) - 1592年11月27日(文禄元年10月24日))は、戦国時代の武将。中川清秀の嫡男で、中川秀成の兄。妻は織田信長の娘・鶴姫。
はじめ父と共に織田信長に仕えた。信長没後は羽柴秀吉に仕え、1583年に父が佐久間盛政の攻撃を受けて賤ヶ岳の戦いで戦死すると、家督を継いで摂津国茨木に5万石を領した。1584年の小牧・長久手の戦い、1585年の四国征伐で功績を挙げたため、秀吉から賞されて播磨国三木6万5000石に加増移封された。
1587年の九州征伐、1590年の小田原征伐にも参陣したが、1592年の文禄の役で鷹狩りをしていた時、敵の刺客に暗殺された。享年25。これは本来改易ものの大失態である。改易を恐れた中川家では事実を隠蔽し戦死と取り繕おうとしたが露見し、秀吉の怒りを買った。が、父清秀の賤ヶ岳の戦いでの命がけの武功があったため、特別に弟秀成に相続が許された。