井上政清
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井上 政清(いのうえ まさきよ)は、下総高岡藩の第2代藩主。
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時代 | 江戸時代前期 | |||
生誕 | 寛永5年(1628年) | |||
死没 | 延宝3年5月28日(1675年7月20日) | |||
別名 | 内記(幼名) | |||
戒名 | 清山日浄玄性院 | |||
墓所 | 東京都文京区白山の浄心寺 | |||
官位 | 従五位下、筑後守 | |||
藩 | 下総高岡藩主 | |||
氏族 | 井上氏 | |||
父母 | 父:井上政次、母:井上正友の娘 | |||
兄弟 | 井上政清、井上政実、井上政則、 井上政勝、井上政明 |
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妻 | 正室:なし | |||
子 | 井上内記、井上政蔽、井上政式 娘(坪内定重室)、娘(野々山元易室) |
寛永5年(1628年)、初代藩主・井上政重の子・井上政次の子として生まれる。父の政次が慶安3年(1650年)8月に早世したため、祖父の政重から世子に指名され、万治3年(1660年)7月9日に祖父が隠居したため、家督を継いで第2代藩主となった。このとき、弟の政則に1000石、政明に500石を分与したため、高岡藩は1万3000石から1万1500石となった。
寛文元年(1661年)12月18日、従五位下、筑後守に叙位・任官する。寛文3年(1663年)7月10日から寛文4年(1664年)にかけて近江水口城在番を務めた。寛文8年(1668年)6月、大坂加番に任じられる。延宝2年(1674年)8月には駿府城加番に任じられて任地に赴くが、翌年の5月28日に駿府にて死去した。享年48。
後を次男の井上政蔽が継いだ。
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