井伊直充
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井伊 直充(いい なおあつ(なおみつ)、天保9年3月1日(1838年3月26日) - 文久2年9月24日(1862年11月15日))は、越後与板藩の第9代藩主。直勝系井伊家13代。
8代藩主・井伊直経の長男。母は村上氏。正室はなし。官位は従五位下、兵部少輔。
天保9年(1838年)3月1日、与板で生まれる。幼名は長十郎。安政3年(1856年)、父の死去により後を継ぎ、同年12月に叙任した。藩政では藩士子弟に学問を奨励し、学者を藩に招聘している。安政7年(1860年)、本家筋の井伊直弼が暗殺されると、連座で処罰されている。文久2年(1862年)9月24日、江戸で死去し、後を養嗣子の井伊直安が継いだ。享年25。法号:義峯院覚性玄雄。墓所:東京都墨田区向島の弘福寺。
|
|
|