ノート:井筒和幸
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[編集] 「59.86.2.127 (悪く書かれすぎている)」さんへ
確かに感情的な表現も多く、出典も示されていませんでしたが、井筒氏に不利(?)な点ばかりを削除して隠蔽しても、何ら解決しません。客観的事実を記述し、建設的に編集していきましょう。 (ポルノ映画出身だということは本人も隠していないし、今時、デメリットとも思えませんが)
感情的と思われる表現はできるだけ排し、出典などで確認できないことはほとんど削除しました。 出展は外部リンクに追加してありますので、必要なら確認してください。 --Nmaeda 2006年1月6日 (金) 21:10 (UTC)
[編集] いかりや長介氏死去時の発言
いかりや長介氏死去時の発言について、記載される方にお伺いしますが、その放送をご自分で視聴・録画するなりして、確認されていますか? もしくは、なんらかの出典を提示できますか? --Nmaeda 2006年1月8日 (日) 18:59 (UTC)
[編集] 井筒監督インタビュー
「いかりや長介がいつ渋い演技したんですか。 枯れ果てて70歳くらいになれば誰だってあんな演技しますよ。 生き永らえたのと演技は違うでしょって。分かってないんだよなー、マスコミも」
上記の発言はテレビで言い放ったものでありません。2003年8月15日の読売オンライン(報知)の『ライバル映画バッサリ 井筒監督インタビュー「『踊る大捜査線』何じゃありゃ」』に掲載されたインタビュー文からの抜粋であって、インターネットでこの発言が飛び火していく内にテレビでの発言とごっちゃになって「テレビで発言された」事になってる模様です。実際、テレビで発言して視聴者の怒りを買ったのは2004年3月23日テレ朝系『スーパーモーニング』でのものです。
「ドリフとか、役者のいかりやさんとかいいますけど、わたしは、てなもんや三度笠で育ったもんですから、(コメントを求められても)よくわからないですねー。役者としても、全くわからないんで、別に悲しくもないですけどね。」
生放送でこれを言い放ってスタジオを凍り付かせました。 いかりや長介さんが死去なさったのは2004年3月20日で、前者のインタビュー時にはまだご存命です。つまり…
>いかりや長介の死去時に「あんな役ね、そこら辺のしょぼくれたジジイだったら誰でも出来るだろ」って生放送の番組上で言い放って〜
という記述は間違い・誤認であって、死去時の暴言は「別に悲しくもないですけどね。」というのが正しい方です。出典云々という疑問はこれで解決した思います、後は編集者の方にお任せ致します。
- 貴重な情報をありがとうございました。ただ、これらすべての原典を確認できる方は少ないと思いますし、実際に記事を執筆していただけるとありがたいところですが。--Nmaeda 2006年1月11日 (水) 07:29 (UTC)
[編集] 58.94.181.177 さんへ
できるだけ感情を抑えて、極力、事実関係のみ書くようにしましょう。事典には客観性が必要とされています。同様の理由で、可能な限り出典を添えるようにしてください。
なお、自分の好みでない作品を酷評する行為は簡単かつありがちなスタイルだと思いますがいかがでしょうか。
--Nmaeda 2006年1月11日 (水) 07:53 (UTC)
個人のホームページやブログなどでは大いに結構だと思いますが、百科事典にはふさわしくないと思われます。事実として認められる情報のみを記事にするべきでしょう。221.171.121.68 2006年1月20日 (金) 15:29 (UTC)
[編集] Iosifさんへ
『各分野で活躍する在日同胞たちの「MILEメッセージ」が紹介された。』と書かれた直後の段落で彼が紹介されていたら、彼がそれに含まれると解釈することは自然だと思いますが、納得されませんか? その上、この段落で紹介されている方々のお名前は、朝鮮・中国系のお名前ばかりです。
もしかすると、この記事には朝鮮語の原文があり、それを読まれた上でのことでしょうか? もしそうでしたら、ご遠慮なく、削除なさってください。わたしはこの日本語の記事しか読んでいません。
それとも、出自が不要とお考えですか? 学歴などと同じく、出自(出身地や系譜など)はプロフィールとして一般的な情報かと思うのですが。
- もちろん、ご紹介の記事を通して読んだうえで編集しました。疑義を呈するにあたって、私のほうが説明不足でした。ノートにも書かずに「編集内容の要約」だけで済ませた自分の横着について、まずお詫びします。
- さて私は、単に朝鮮新報の記事が悪文であるため「井筒も在日である」という誤解を誘っていると推測しています。朝鮮総連の(しかも若者向けの)イベントにおいて「活躍する在日」が日本の通称名で紹介される(しかも本名を最後まで明かさずに)という事態が考えられないのです。これは朝鮮総連の考え方に照らして論理矛盾だからです。そういった矛盾はそこらじゅうにあって当たり前ですが、これはあくまで朝鮮人の若者に向けたイベントですからタテマエが重要です。そんなところで通称名で登場していても(総連系イベントであるかぎりは)若者に向けたエールたり得ていません。実際に、朝鮮新報は朝鮮人であることを公言しながらも日本式姓名で活躍する人について書くときに本名(朝鮮名)を付記することが多いように思います(ただし同記事中では笑福亭銀瓶の本名も書いていませんけれども、落語家は「芸名」で呼ばれるべきというていどなら朝鮮新報の判断としても考えられる範疇だと感じます)。たしかに記事で触れられているとおり(同イベント内の)「『活躍する在日』がメッセージを送る」企画ではあったのだろうとは思います。しかし井筒和幸は「在日にエールを送る日本人」または「李鳳宇の盟友」として登場したのではないか…にもかかわらず朝鮮新報の悪文は全部ひとからげに在日だと読めてしまう書き方をしてしまっているのではないか…とでも考えないと辻褄が合わないのです。1)在日朝鮮人で、2)映画「パッチギ」を撮っていて、3)若者にエールを送るために登場していて…、ところが名前が「井筒」であるうえに本名も明かせないとなったらこれはブーイングものだと思うのです。で、よく読むと、記事自体も井筒和幸を在日とはっきりと同定していないとも読めます。そこだけが李鳳宇とセットになっています。2人一緒に映像出演していたことを表現しようとしただけかもしれません。結論先にありきのようで申し訳ないですが、辻褄が合わないポイントを押しのけてまで納得させてくれるほど朝鮮新報の記事が権威ある(信頼できる)ニュースソースだと私はみなせないのだということも付け加えます。朝鮮新報に電話して李松鶴記者に確認をとれば簡単に答えてくれる程度のことだと思うのですが、今回は確認せずに編集してしまいました←不審感をもたれたかと思いますので、この点もお詫びします。しかし、確認がとれるまでは削除しておくべきではないかと考えています(でも私が確認を取ると請け負うことはできません、申し訳ない)。いずれにせよ朝鮮新報の、どちらとも読める記事だけがソースでは、出自を断言するのには弱いと考えています。Iosif 2006年1月20日 (金) 19:39 (UTC)
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- 誠に失礼ですが、少々深読みではないでしょうか? 井筒氏が在日ではないことを前提に、この記事を悪文と評価されているようです。総連のイベントで実際に紹介された氏名と、記事上の氏名が同じか否かも判りません。この記事を日本語がネイティブの若い在日や日本人むけだとすると、記事上でのみ、広く知られた通称名で紹介したと考えることまでできるのです。結局のところ、このような場合は、あまり予備知識を使わず、出典を自然な日本語として解釈するべきだと思うのですが、いかがでしょうか? 正直なところ、わたしも原稿料が貰えない記事でこれ以上調べる気がないのが正直なところです(笑) --Nmaeda 2006年1月21日 (土) 06:11 (UTC)
私にいくつか傍証材料があるせいで、深読みに読めるかもしれません。また傍証ゆえに「在日ではないことを前提に」していると読めるのかもしれません。しかし、プライバシー侵害になるので傍証については明かせません。さて、「出典を自然な日本語」と解釈しても、井筒氏が在日だとは私は読めませんでした。周囲にも読ませましたが同意見でした。自然な日本語とおっしゃいますが、同じ新聞の他の記事と比較してはじめて何が自然な読み方かが言えるのだと思います。朝鮮新報が青年向け啓蒙イベントで登壇者を通称名で書くというのも想像できませんが、イベントで「実は在日です」と言って本名を名乗らせていながら記事にそれを取り上げないというのも考えられません。イベント会場でのみ本名を名乗ったなら、この場合カミングアウト劇なので、別のニュース価値があります。特に朝鮮人向け新聞ではなおさらです。そういうケースなのに記事で本名を記さないということが考えられません。熱心にこの項目の充実をはかられていたNmaedaさんがに敬意を表しつつ、そのNmaedaさんにこれ以上調べるつもりがないとおっしゃるのは残念ですが、言わせてしまったのは残念ですし申し訳なくも思っています。しかし、そうなると、疑わしきは言及せずという原則を適用すべきところだと思います。(もちろん機会があったら私が記者に問い合わせておきます)Iosif 2006年1月21日 (土) 19:44 (UTC)修正付加219.0.238.246 2006年1月22日 (日) 06:02 (UTC)さらにログイン忘れで再署名、ついでに再修正Iosif 2006年1月22日 (日) 06:08 (UTC)
- 明かせない論拠は、週刊誌の記事によくある「関係者によると‥‥」程度の信頼度であり、噂話と同等でしょう。その意義を否定はしませんが、例えそれが真実であっても、事典・辞典で採用するべき論拠ではありません。また、残念と言われましても、「朝鮮新報に電話して李松鶴記者に確認をとれば簡単に答えてくれる程度のことだと思うのですが、今回は確認せずに編集してしまいました」というように、先に確認しないと書かれたのはIosifさんなのですから、わたしに残念と言われる前に電話なりメールでご自身が確認し、その上で該当部分を修正なさってください。わたしは朝鮮半島系メディアに大して、意見ではなく、誤訳や事実誤認の指摘をメールでおこなったことがありますが、返事をもらえたことはありません。ところで、在日だと書かないのであれば、イベントに対してメッセージを寄せただけであり、本文に記述することもないでしょう。参考としてリンクを提供してあれば充分と思います。--Nmaeda 2006年1月23日 (月) 05:38 (UTC)
- いや、それはおっしゃるとおりで、気分を害されたならお詫びします。「明かせないこと」を根拠にして「削除すべき」と主張したつもりはありません。いまだに、そのようなことは書いていないつもりです。「在日ではないことを前提に(しているという予断があるのではないか)」とおっしゃっていたので、「たしかに予断があるかもしれません」と伝える意図で書いたことです(そのまんま「たしかに予断があるかも」と書かなかったことについてはさすがに勘弁してほしいです)。少なくとも、明かせないことを根拠として
採用納得させようなどという阿呆な、世の中をナメたようなことは当初から毛頭考えていません。要らぬことを書きました。/また、残念だというのはNmaedaさんが確認なさらないということに対してではなく、修正のとおり、そのように言わせたことについてであって、単なる感慨でしかありません(なんか、からんじゃっただけみたいになったなあ、という感慨とでも言えばいいでしょうか)。Nmaedaさんへの要望なり、不平なり、当てこすりなりに受け取られるのではないかという恐れをたしかに感じてはいたのですが、そのようなつもりはまったくありません。しかし、実際にそのように受け取られたようで、ご気分を害されたならお詫びします。これもまったく要らぬことを書きました。 - 私の立場はあくまで、朝鮮新報の文章が明確ではなく信頼できる情報とみなせないため井筒氏が在日であるという根拠として採用できない(採用するのに承服しかねる)というものです。また、私が確認して修正するのがベストであるのはもちろんですが、確認できないから書いて良いという事柄ではないと考えています。あくまで「本人が公表していない本人情報」として扱うべきだと考えているわけです。電話確認については言っちゃったからやるしかないのかもしれません。しばらく(ちょっと気を長く)お待ちください。しかし、考えてみれば、私が電話で確認したところで電話記録を発表できるわけではなく、これまた根拠として採用できないことには変わりはないということに今さら思い至りました。というわけで「すぐに確認できること」などと書いたことは取り下げて、これについてもお詫びします。現時点では「どのようにも読める記事(朝鮮新報)が存在する」ことだけが材料であって、それに対して(1)「Iosifは同・記事を読んで、井筒氏が在日であることを明らかにした記事だとはみなせない」(2)「もし、井筒氏が在日であるという記事として書かれたのであれば辻褄の合わないことが多くある」ということだけ申し上げます(あ、もちろん、(1)(2)ゆえに記述するべきでないと主張します)。--Iosif 2006年1月23日 (月) 10:21 (UTC)
- いや、それはおっしゃるとおりで、気分を害されたならお詫びします。「明かせないこと」を根拠にして「削除すべき」と主張したつもりはありません。いまだに、そのようなことは書いていないつもりです。「在日ではないことを前提に(しているという予断があるのではないか)」とおっしゃっていたので、「たしかに予断があるかもしれません」と伝える意図で書いたことです(そのまんま「たしかに予断があるかも」と書かなかったことについてはさすがに勘弁してほしいです)。少なくとも、明かせないことを根拠として
[編集] NiKeさんへ
ノートに参加せず、捨て台詞で本文を修正するようなことはお止めください。ご自分の論拠を提示して、ノートで議論すべきでしょう。そうせずに本文だけを書き換え続けても、何ら意味がありません。--Nmaeda 2006年1月23日 (月) 05:44 (UTC)
[編集] 『パッチギ!』の記述について
パッチギの記事にも見られた表現だが事実上完全制覇の事実上とはいったいどういう意味か?キネ旬の第一位という記述を削除してまで事実上完全制覇という曖昧かつ意味不明な表現に書き換えるのは特定の感情に基づき記述していると言われても仕方がないと思われる。したがって削除すべきである。--ホロ部 2006年3月20日 (月) 05:22 (UTC)
- 「評論家失格」のくだりですが、必要な記述でしょうか? 「評論家として失格だと言わざるを得ない」という論評的な表現にまで踏み込まないほうがいいのではないでしょうか。事実をもって語らしめるだけで十分だと思います。--Iosif 2006年4月7日 (金) 15:18 (UTC)「井筒和幸」の項目に「評論家として」の評価が書かれていることも、また別の問題として違和感がありますが。--Iosif 2006年4月7日 (金) 15:20 (UTC)
[編集] 再三に渡る中傷について
中傷せんがために(としか思えない文脈で)李鳳宇と(立証不可能な)金銭関係をしつこく書いている人がいますが(立証不可能なうえに李鳳宇の父とシネカノンの資金とはさらに無関係ですが)、いい加減にやめてはどうでしょうか。また、人間を全て嫌韓派とそれ以外に分類して、映画作家やら何やらに書き込むのもやめてはどうでしょうか。--Iosif 2006年4月15日 (土) 21:59 (UTC)
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- 割り込みですけど一言、「子煩悩」というくだりは証明不可です。それと在日三世にあたる浅川基文氏の著作にはシネカノンの件が出てますよ。履歴をみると、少しIosifさんも熱くなっているようにみえますけど。--58.156.236.106 2006年12月8日 (金) 09:01 (UTC)
[編集] 大前提として
みなさんお解かりかとは思いますが、百科事典としてふさわしい表記とは何なのか?ここに十分留意して記述いたしましょう。 「~と言われている」「~と思われる」「~と言わざるを得ない」←こういった表現は、百科事典として適切とはいえないのでは?評論本の執筆ではないのです。 ウィキの目的として重要なのは井筒和幸を知らない第三者が「井筒和幸」を知ろうとしてココに来たときに事実をきちんと確認できるもの、であるべきと考えますが。 井筒和幸を良く知る者たちが個々の意見を出し合う場ではないのだということです。--219.171.7.65 2006年4月18日 (火) 23:50 (UTC)
[編集] Interwiki links
Hi, Would it be possible to insert the interwiki link to the french wikipedia ? I can't do it myself since the article is locked. The french article's name is fr:Kazuyuki Izutsu. Thank you.