仏心
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仏心(ぶっしん)とは、仏(ほとけ)のこころ。大慈悲のことをいう。また、一切衆生に本来備わっている仏性のこと。仏心とは主体となる心(さとり)のこと。心主、心王(しんのう)ともいう。
禅においては仏の悟りを指して仏心と呼ぶ。禅宗は仏の悟りを直に体得することを求めるので、経宗に対して別名仏心宗を称する。
[編集] 九識
- 五識 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識
- 外界の刺激に応じて働く認識のこと
- 第六識 意識
- 五識(外界の刺激)に応じて働く内的な心の働きと、五識とは直接関係のない(思考など)心の働きのこと
- 第七識 末那識(まなしき)
- 第六識までの心の働きの奥にある、自分と他を区別する意識。自我ともいう。エゴの概念に近い。
- 第八識 阿頼耶識(あらやしき)
- 瞑想を深め、自我を無くしたところ(無我の境)に、なお残る深層意識のこと。カルマ(行為)の結果が蓄積されているとする。
- 第九識 阿摩羅識(あまらしき)
- 阿摩羅とはサンスクリットで「汚れのない」という意味で、カルマを解消した清浄心のこと。さとりを意味する。
- 九識心王真如の都
- 九識(くしき)とは、心の働きを九つに識別し、もっとも根源的な第九識のこと。仏心の住所のことで阿摩羅識という。心王とはこころの中心をいい、真如は悟りを意味する。都は心の王の住むところを象徴したもの。天台宗の教義。