伊藤財閥 (兵庫県)
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伊藤財閥(いとうざいばつ)は、播州の伊藤家の初代が寛政年間に分家を起こしたことに始まる。伊藤家の当主は代々、長次郎を襲名しめいてる。
伊藤家は、兵庫県印南郡伊保村(現・高砂市)の旧家であり、大地主であった。明治維新当時には相当大規模な土地を集積し、姫路近在に富と名望を誇る存在となる。明治10年代に第三十八国立銀行、山陽鉄道等の発起人に四代伊藤長次郎が名を連ねている。山陽鉄道では、明治19年12月22日における第一次発起人11名の中に選ばれた。発起人の条件は出資一万円(500株)以上で、伊藤長次郎以外の10名の第一次発起人は、藤田伝三郎、辰馬吉左衛門(酒造・白鹿)、小西新右衛門(酒造・白雪)山邑太郎左衛門(酒造・桜正宗)、岡崎真鶴(藤吉の養父で第三十八国立銀行の創立者)らの資産家であった。
四代伊藤長次郎は、先祖伝来の富を多様な新事業分野に注ぎ込んだ。第三十八国立銀行と山陽鉄道のほか、生糸輸出のための神栄株式会社(明治20年設立)、熟皮株式会社に対する出資参加、清酒醸造、運輸、金融等の諸事業の経営、兵庫県一円の農地、神戸市の宅地の買収等、その活動はめざましいものがあった。この段階は家業の多角化が進み、財閥への展開過程にあった。四代長次郎は明治28年に死去した。明治6年生まれの長男熊蔵が22歳で五代長次郎を継いだ。
明治44年調査「全国多額納税者名簿」において、同家の納税者が44,205円と全国第一位を占めており、大正初年における伊藤長次郎家の資産総額は1000万円と評価されていた。また大正13年における所有土地面積は322町歩に達していた。
大正10年には伊藤長次郎家一族のホールディング・カンパニーとして、合資会社静得社を設立した。昭和5年時点において合資会社静得社の持株は、三十八銀行2万株、大洋海運2132株、日出紡織7870株、神栄生糸6200株、神戸海上運送火災保険5460株、その他樺太工業、共保生命、神戸土地、上毛電力、日伯拓殖、兵庫県農工銀行等各社の株式である。伊藤長次郎個人の持株は、山陽中央水電3282株、兵庫大同信託13510株、昭和毛糸紡績3000株等で、投資総額は約250万円と推定されていた。これに静得社、伊藤土地、家族個人名義の土地、公社債、現預金を合算すると、伊藤長次郎家の資産総額は約1500万円であったといわれる。
[編集] 関連書籍
- 地方財閥 森川英正著 (日本経済新聞社)