兪明震
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兪明震(ゆめいしん、1860年 - 1918年)は、広西を本籍とする、清末の教育界、政界で活躍した詩人である。字は恪士、号は孤庵。
1895年、顧肇熙の後任として台湾布政使に任命された。任命されてまもなく日清戦争後の下関条約により台湾が日本に割譲されることが決定されると、割譲に反対する勢力と共に台湾民主国を樹立、内務大臣に就任した。しかし日本軍の構成により台湾民主国は間もなく瓦解、兪明震は台湾を離れ広州へと逃亡した。
官人としての経歴の他に、兪明震は中国本土に戻った後教育界にも進出し、南京江南水師学堂督弁、即ち校長に就任している。1898年,18歳で魯迅がこの学校に入学した際、兪明震が指導している。『魯迅日記』の中に数多く出現する「恪士師」こそが兪明震である。魯迅はまた『瑣記』の中でも彼を海外留学させた恩師としても表現している。
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