ノート:八手三郎
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諸説あるみたいで…
○元々は、平山亨が東映京都撮影所に所属していた時代に、京都撮影所の助監督たちが共同で使っていた(共同執筆の文章に冠していた)ペンネームだ、という説(だから、時代劇などにも使われたことがある)。
その説に従えば…平山が助監督から、東京本社のテレビ部プロデューサーに配転になった後、社員プロデューサーが文章を執筆(脚本や企画書や作詞)する必要があった際に、京都で使われていたこのペンネームを復活させたらしい。「平山亨のペンネーム」という視点を狭くした言い方は、一部の平山を尊敬する者たちが、若干の誇張を混ぜて(或いは希望的想像で)(或いは祭り上げる意図で)使い始めた言い方だと思われる。
○実際には、八手三郎名義で平山が一人で書いた脚本は無い、という説も。
だが勿論、他の脚本家のシナリオにプロデューサーとして手を入れたりする事は多かったであろうし、その時に共同脚本の名前が必要とされたケースも多かったと思われる。また、数々の八手三郎名義の作詞の多くが平山の手になるものだというのも事実と思われる。
そういう意味で「八手三郎=平山亨」であった瞬間は数多い。八手の名が多少なりとも世に認識されているとすれば、それに一番寄与したのは明らかに平山だろう。
○「やって候」の意として、平山の口癖ということではなく、上記の京都の社員助監督たちの「組織に属するクリエイター」といった立ち位置からくる微妙な心情(=何物からも自由なクリエイターとしての気概を持ちつつも、一方で会社という組織に従属する立場であることも認識せざるを得ない)を表わすものだったという説。
その説に従えば…「候=そうろう=さぶらう」という言葉の本来持つ意味「上に立つ者の側に控え、言われたことを確実にやり遂げる」といった部分も多分に意識されていたらしい。つまり、やってさぶらう、とは「会社に言われたから俺様がやってやったぞ。これでどうだ。なんか文句があったら、ここに居るから言ってこい」といったニュアンスの、自尊心と自己卑下が裏表になった言い方であり、そういった自己のありようを認識する醒めた目も持っていた若き助監督たちが、自分たちを表わすものとしてこの言葉を選んだと考えられる。
○今は「はってさぶろう」という読み方がされることが多く、それも間違いとはされないようだが…
- 記憶が曖昧で申し訳ないのですが、以前平山亨氏がどこかの大学で基調講演をなさって(知的所有権か何かがテーマだったと)、その中で八手三郎は「やって候」を語源としているという話をされたという紹介が、新聞か何かのメディアに掲載されていたような気がします。・・・がこれだけでは詳細部分が曖昧で信憑性にかけますね・・一応参考になればと思い、返信させていただきましたが、この項を編集なさっている皆様方の方がはるかに詳しそうですね^^;; --210.130.240.75 21:04 2004年6月2日 (UTC)