六歌仙
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六歌仙(ろっかせん)
六歌仙は『古今和歌集』の仮名序において紀貫之が「近き世にその名きこえたる人」として掲げた、各々の歌風を批評した六人の歌人のことで、具体的には僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主を指す。ただし「六歌仙」という名称そのものは、後代になって行われるようになったものである。
本来、単に貫之が近代の歌人として名のある者を列挙したに過ぎないものであるから、特に歌風などの共通性は見られない。ただし古今集に収録された歌人群のなかでは、いずれも撰者たちよりもひと時代前の歌人にあたることから、古今集収録歌を三期に区分して、順に「読人しらず時代」「六歌仙時代」「撰者時代」と称することがある。 高田崇史氏著QEDによると六歌仙に撰ばれている人物は皆当時栄華を極めていた藤原氏に恨みを持つものとし、これに惟喬親王を加えた七人を元は怨霊である七福神に擬えて封じているとしている。またその際、紀貫之は自らの紀氏を「甦る」とされる布袋になぞらえ、呪縛から逃れているともした。
[編集] 古今和歌集仮名序(当該部分のみ)
その外に近き世にその名聞えたる人は、すなはち僧正遍昭は、歌のさまはえたれども、誠すくなし。たとへば絵にかける女を見て、徒に心を動かすが如し。
在原業平はその心余りて詞たらず。しぼめる花の色なくて、にほひ残れるが如し。
文屋康秀は、詞たくみにてそのさま身におはず。いはば商人のよき衣着たらむが如し。
宇治山の僧喜撰は、詞かすかにして始め終りたしかならず。いはば秋の月を見るに、曉の雲にあへるが如し。よめる歌おほく聞えねば、これかれかよはしてよく知らず。
小野小町はいにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにてつよからず。いはばよき女のなやめる所あるに似たり。つよからぬは女の歌なればなるべし。
大伴黒主はそのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し。