前田通子
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前田 通子(まえだ みちこ。本名:前田好子)、1934年2月29日 - )は、日本の女優、歌手。大阪府出身。戦後のグラマー女優第1号であり、山本富士子と共に五社協定の最大の犠牲者としても知られる。
父が三越宮城支店に勤めていたこともあり、女学校を中退し三越に入社。同じ日本橋本店呉服売り場にいた池内淳子と共にその美貌が評判になる。前田は「赤い羽根」のPR映画に出た後、1955年、新東宝にスカウトされる。一方、池内は雑誌のモデルをやった後、新東宝へ入り、偶然にも2人は同じ新東宝女優として再会することになる。
1955年、映画「三等社員と女秘書」で純情社員(宇津井健)を相手に当時としては大胆なベッドシーンでデビュー。続いて志村敏夫監督の映画「群狼」「女真珠王の復讐」で売り出す。初主演の「女真珠王の復讐」では後姿の全裸シーンが話題になり、大型グラマー女優として一躍スターダムへ。わずか2年の間に20本以上の主演作を作り新東宝の屋台骨を支えた。1957年の映画「海女の戦慄」では主題歌も歌いヒット。
1957年の映画「続若君漫遊記・金比羅利生剣」に町娘役で出演中、加戸野五郎監督にカメラが下からのぞく中、二階の階段の上で裾をまくれと注文される。事前の打ち合わせにも全くなく、下着も履かない時代(=時代劇)の普通の町娘がそんなことはしないと彼女は拒否。押し問答の末、新東宝社長の大蔵貢に直訴すると役を降ろされ、6ヶ月の謹慎と会社への損害賠償として100万円(当時)を払えと命令される。彼女は人権擁護局に訴え、主張が認められ、新東宝から謝罪と30万円の慰謝料が彼女に支払われた。だが、一女優になめられたと怒り心頭の大蔵貢は五社協定を使い、映画界はおろかテレビ界にまで圧力をかけ、彼女が女優の仕事を一切できないようにした。
1961年に、映画「女真珠王の復讐」が上映されヒットし有名になっていた台湾で2本の映画に主演(どちらも日本未公開)。その後、全国各地のナイトクラブ、キャバレーで歌い、軍歌を得意としたため軍歌の前田と呼ばれた。
1972年、日本テレビの帯ドラマ「渓流の女」に主演してカムバック。翌73年には東京12チャンネルのドラマ「出発進行」に主演。
その後、消息が途絶えていたが、1999年、同じ新東宝にいた旧知の石井輝男監督作品『地獄』で日本映画では42年ぶりの映画出演を果たし、話題になった。
現在は東京で長年の苦労の末に手に入れたバーを経営している。
川本三郎著の『君美わしく』には貴重な彼女のロングインタビュー(行われたのは1990年代後半)が収められている。