劉承祐
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劉 承祐(りゅう しょうゆう 931年 - 950年、在位948年 - 950年)は、中国五代十国時代の後漢の第二代皇帝。廟号は隠帝。
[編集] 生涯
劉知遠の次男として鄴都生まれる(一説には甥とも言われる)。
はじめ周王に封じられたが、劉知遠の崩御とともに即位する。しかし年少であったため、枢密使の楊邠や副枢密使の郭威の権勢を抑えることができなかった。
当時、実力者であった蘇逢吉と楊邠の間に権力抗争があり、内紛がおさまらなかった。この混乱に際し河中の李守貞、長安の趙思綰、鳳翔の王景崇が相次いで叛乱を起こした。
加えて蝗害や水害の被害が深刻な後漢は大いに乱れたとされる。950年、郭威が兵を起こして南下し、劉承祐は乱兵の中で殺された。
[編集] 年号
乾祐(948年 - 950年)
[編集] 関連項目
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