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勧修(かんしゅう、天慶8年(945年) - 寛弘元年(1004年))は、平安時代中期の天台宗の僧。俗姓は紀氏。
11歳の時比叡山に上って稚児となり、その後出家して余慶から灌頂を受けた。また勢祐からも学んでいる。997年(長徳3年)には中国の宋から送られてきた天台宗に関する書物について師である実因とともに批判している。藤原道長が浄妙寺を建立した際にはその開山となった。997年(長徳3年)に園城寺長吏となり、1000年(長保2年)には大僧正に任じられている。没後の1019年(寛仁3年)には智静の諡号が贈られた。