北条時広
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北条時広(ほうじょうときひろ、貞応元年(1222年) - 建治元年(1275年))は鎌倉時代中期の武将である。父は北条時村、母は不明。幼名は義王丸、通称は相模七郎。妻は北条資時の娘。二人の娘がおり、それぞれ北条宣時と渋川義春に嫁いだ。佐介流北条家の主でもある。
和歌が得意で将軍の歌席寄人や歌仙結番に選ばれている。北条家一門随一の風流文化人でもあった。
大河ドラマ「北条時宗」では8代執権北条時宗よりも長生きしているが創作である。
[編集] 官位位階履歴
- 1245年9月 式部少丞に就任。
- 1247年1月 従五位下に就任。
- 1247年3月 武蔵守に就任。
- 1258年1月 越前守に就任。
- 1260年4月 越前守を辞任。
- 1261年11月 将軍歌仙結番に就任。
- 1265年4月 従五位上に就任。
- 1265年6月 評定衆に就任。
- 1268年4月 四番引付頭人に就任。