北条氏宗
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北条 氏宗(ほうじょう うじむね、1619年(元和5年) - 1685年6月19日(貞享2年5月18日))は、河内国狭山藩の第3代藩主。父は第2代藩主・北条氏信(氏宗は長男)。母は佐久間安政の娘。幼名は久太郎。官位なし。
江戸生まれであり、1625年11月、父氏信の死去により、家督を継ぐ。同月、将軍徳川家光に御目見する。1636年5月12日、初めてお国入りの許可を得る。同年、江戸麹町堀の普請を務めた。1661年11月27日、下野国足利郡内の領地3000石を収公されて、筑波国筑波郡内に替地を与えられた。
生来から病弱だったらしく、無位無官だったという。また、生まれた子はいずれも娘であったため、北条氏盛の次男・北条氏利の子・北条氏治を養嗣子として迎えた。しかも病弱だったにも関わらず大酒飲みだったため、これが原因で重病に倒れ、1670年10月1日、隠居し、養子氏治に家督を譲った。1685年5月18日、67歳で死去した。法号は普応院。
正室は大久保幸信の娘。三女あり。
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