北白川宮智成親王
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北白川宮智成親王(きたしらかわのみや さとなりしんのう、安政3年6月21日(1856年7月22日) - 明治5年1月2日(1872年2月10日))は、江戸時代末期、明治時代初期の日本の皇族。北白川宮初代。伏見宮邦家親王第13王子。幼称は泰宮(やすのみや)。
万延元年(1860年)孝明天皇の養子となり、聖護院門跡雄仁法親王(後の聖護院宮嘉言親王)附弟となる。慶応2年(1866年)2月に親王宣下を受け、智成(さとなり)と命名される。同月聖護院に入り、落飾し信仁入道親王を称する。
慶応4年(1868年)明治維新に際し、照高院宮(しょうこういんのみや)を称し、還俗し、再び智成親王を称する。その後聖護院宮を繼承する。明治2年(1869年)三品に叙せられる。明治3年(1870年)宮号が旧門跡との区別が判然としないとの理由で北白川宮に改称する。明治5年(1872年)正月薨去。17歳。遺言で兄に当たる能久親王が北白川宮を相続した。
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