南投県
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台湾南投県 | |
地理 | |
位置 | 東経120' 北緯23' |
面積 | 4106.436km² |
人口 | |
人口(2006年4月) | 536,979人 |
政治 | |
行政区分 | 県 |
県政府所在地 | 南投市 |
県長 | 李朝卿 |
下部行政区分 | 2市4鎮8郷 |
その他 | |
郵便番号 | --- |
市外局番 | 04 |
県花 | ウメ |
県鳥 | - |
県木 | 樟樹 |
別称 | 内地 |
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南投県の位置 |
南投県(なんとうけん、Nantou County)は、台湾中部にある県。台湾では唯一の内陸県である。
南投県は台湾原住民が比較的多く暮らしていることでも知られており、2003年の統計では、県内全体の原住民人口は約26,000人(7,200戸)となっている。主な部族はタイヤル族(泰雅族)、ブヌン族(布農族)、ツオウ族(鄒族)であるが、それ以外にも日月潭の周辺に平埔族の一つであるサオ族(邵族)が暮らしている。
県内の観光地としては、台湾最高峰の玉山、日月潭などがよく知られている。
また、1999年9月21日に発生した台湾大地震(集集地震、M7.6)は、県内の集集鎮を震源とするものであり、山間盆地を中心として県内に甚大な被害をもたらした。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 歴史
南投県は鄭成功時代は初め天興県に、後に北路安撫司に帰属した。1683清による統治が開始されると南投地区はは福建省台湾府諸羅県の管轄に置かれた。1723年、彰化県が設置されると、彰化県に帰属した。しかしこれらは名目的な行政区分でしかなく、原住民の居住地であった南投に行政統治が及ぶことはなかった。実質的な行政力が及ぶようになったのは1759年の県丞が設置されてからである。
1887年に台湾が独立した省となると、南投は台湾府台湾県に帰属し、県丞が南投に駐留、同時に雲林縣衙が竹山に設けられ雲林県を管轄していた。1895年に日本による統治が改称されると数度の強制区改編を経て台中県の管轄となった。戦後の1950年10月、台湾地区の地方行政制度改革の課程で、政府は台中県から南投県を分割、県政府を南投鎮に設置した。1981年12月25日に南投鎮に市制が施行され、現在の1市4鎮8郷となった。
[編集] 行政区画
- 南投県の行政区画
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[編集] 交通
県轄市: 南投市 鎮: 埔里鎮 | 草屯鎮 | 竹山鎮 | 集集鎮 郷: 鹿谷郷 | 名間郷 | 中寮郷 | 魚池郷 | 国姓郷 | 水里郷 | 信義郷 | 仁愛郷 種別 路線名称 その他 鉄道 集集線 濁水駅 龍泉駅 集集駅 水里駅 車埕駅 国道 国道3号 フォルモサ高速公路 草屯IC 南投IC 名間IC 竹山IC 中興JCT 国道 国道6号 - 省道 台3線 台3甲線
台14線 台14甲線 台14乙線 台14丁線
台16線 台16甲線
台18線
台21線 台21甲線
台63線 台63甲線
台76線[編集] 特産品
[編集] 観光地
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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