吉元政矩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉元 政矩(よしもと まさのり、1936年11月 - )は、元沖縄県副知事、現在は沖縄21戦略フォーラム代表。
沖縄県与那国島出身。沖縄県立八重山高等学校卒業後、石垣測候所(現八重山気象台)に就職。その後沖縄県庁本庁に移り、沖縄県祖国復帰協議会・事務局長、沖縄官公庁労働組合書記長、沖縄県職員労働組合副委員長、沖縄県企画調整部・企画調整室などを歴任。1990年12月に沖縄県副知事になる。在任中は、中国との関係を重視し、中国(特に福建省)と沖縄の結び付きを深めさせたため、一部からは非難されている。1997年10月に沖縄県副知事を退任。1998年8月、沖縄県地方自治研究センター理事長に就任し、2000年9月から同センターの顧問を務める。1998年参院選比例区に社民党から出馬し、落選。2002年の沖縄県知事選挙に出馬するも稲嶺惠一に惜敗。出馬時には自称唯一神又吉イエスから「腹を切って死ぬべきである。」と言われた。