吉岡長増
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吉岡 長増(よしおか ながます、文亀2年(1502年) - 天正元年(1573年))は大友氏の家臣。吉岡鑑興の父。
大友義鑑・大友宗麟父子の二代にわたって仕えた宿老で、立花道雪をはじめとする大友三老に匹敵する宿老の一人であった。知略に優れ、大友氏における軍師的存在であったが、義鑑はそれを恐れたのか、1534年に長増を解任している。以後、長増が宿老として復帰を果たすのは、1550年のことである。
長増が本領を発揮したのは、1569年に毛利元就率いる毛利軍が大友領に侵攻して来たときであった。その頃、大友軍は毛利軍の猛攻に押され、筑前の大半を奪われて滅亡の危機に立たされていた。長増はこれに対し、毛利の主力軍が筑前に集結しているのを見て、当時、1557年に大内氏が滅亡したために大友家に亡命していた大内氏の残党である大内輝弘に旧臣を集めさせて資金的に支援することで、筑前に出兵しているために兵がほとんどいない毛利領の周防に侵攻させたのである。この策は見事に当たり、兵がいない周防は輝弘によって次々と侵食されてゆき、驚いた元就は主力軍を全て筑前から撤退させたという。こうして、大友氏は滅亡の危機を免れたのである。
長増はその後、豊前方面の政務を任されたという。