吊りスカート
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吊りスカート (つりすかーと)は、ウエスト部分に取り付けた一対の紐で肩から吊り下げるようにして着用するスカートの総称である。
[編集] 吊りスカートの歴史
元来男性のズボンを支えるパーツとしてサスペンダーはかなり昔から存在したが、このサスペンダーをスカートに最初から作り付けにしたのが吊りスカートである。吊りスカートは20世紀初頭に登場したという説が有力である。アメリカの1909年版の型紙集には既にハイウエストタイプの吊りスカートが掲載されていた。
本格的に流行したのは1930年代で、当時の雑誌や映画にもしばしば登場している。日本でも昭和10年代には流行し、いわゆるモガと称された若い女性達が吊りスカートを穿いて銀座を闊歩するような写真が残っている。
戦後吊りスカートは、主に子供服のカテゴリに採用され、学校の制服を中心に全国で見られるようになった。1976年頃から1982年頃には再び流行した。当時の若者向きのスカートはそのほとんどが吊りスカートであり、有名なデパートや一部上場企業や銀行のOLの制服としても採用された。
その後、めまぐるしい流行の変化で、徐々に吊りスカートは衰退し、学校の制服や子供服からも吊りスカートは姿を消した。しかし2005年頃からパリコレでも再度吊りスカートが登場し、2006年以降日本でも新たなデザインの吊りスカートが若者向けのファッションとして登場している。
[編集] 吊りスカートの機能
サスペンダーはズボンがずり落ちないために考案されたものであり、吊りスカートも当然その機能が優先される。
子供服の場合、ウエストの定まらない年代の子供体形では、ベルトの使用は困難であるし、成長期の年代になれば、体形が僅かの間に著しく変貌し、ウエストを特定することが困難である。
大人の場合も、ウエストベルトで下腹部を締め付けるボディコンシャスなスカートでは、長時間の着用は健康を害するおそれもあり、ウエストで締めない吊りスカートは、長時間座って作業をするOLにとっても着心地が良いという面がある。また、動きの多いウエイトレスなどもでも動き易く機能的なスカートが求められる。このような観点が、吊りスカートが子供服として採用、あるいは学校や企業の制服として採用された経緯である。
また吊りスカートは、実用面以外でも、着用した姿の可愛らしさから、大人の吊りスカートの場合では、見た目の女性らしさを強調する場合にも用いられる。この場合には吊り紐は全くの飾りで、紐は無くても着用できるものがほとんどである。イベントコンパニオンなどのユニフォームがその例である。
なお、吊りスカートを着用した場合、紐が長いと肩から落ちることがあるため、これを防止するためにブラウスの肩に吊り紐通しのタブを付けたり、吊り紐をH型にしたものもある。
[編集] 吊りスカートのデザイン
実用面を優先する子供服や学校の制服では、スカートに一対の細紐を取り付けただけのシンプルなものが多いが、ファッション性を重んじてデザインされた吊りスカートは、吊り紐が1本だったり、逆に左右に複数本あったりするものもある。通常吊り紐は背中で十文字に交差されているが、逆に前で交差させたり、エプロンのように首の後で紐を結ぶホルターネックタイプの吊りスカートも登場した。また、吊り紐が前でH型になったデザインは、ドイツの男性用の民族衣装であるレーダーホーゼンに見られるように古くから存在し、スイスの女性用の民族衣装や、フランスや中南米諸国のハイスクールの制服として現在も多く見られる。このタイプの吊りスカートは吊り紐が肩から落ちることも無く、ウエストの大き目のスカートでありがちな、スカートが回ってしまう、ということも無いので非常に着心地が良いようである。
日本でも服飾デザインの世界で、ベーシックなタイプのプリーツスカートは、このようなH型の吊り紐が付いたものが一つの標準パターンになっていた時代もあり、過去において、しばしばH型吊り紐の吊りスカートが登場している。戦時中の女子青年団の制服もこのようなH型吊り紐付きの紺色のプリーツスカートであった。中原淳一が「ジュニアそれいゆ」に発表したファッションデザインには吊りスカートが多く見られ、H型吊り紐付きも見られるのは当時の流行を物語っている。