土佐光信
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土佐 光信(とさみつのぶ、生没年不詳)は、室町時代中期から戦国時代にかけての絵師。土佐広周の嗣子であるが、実は土佐光弘の子という。土佐派中興の祖とされる。
室町幕府8代将軍足利義政の御教書によると、1469年(文明元年)に絵所預に輔任されている。右近将監を経て、1496年(明応5年)には刑部大輔に任じる旨の口宣案(くぜんあん)が出され、絵師としては最高の位を得た。公家や武家、寺社のため多くの作品を描き、大和絵の題材・技法・様式を拡大した。土佐(常盤)光長、土佐光起とともに土佐派三筆と称される。
作品には「星光寺縁起」のほか「清水寺縁起」「北野天神縁起」など数多くの作品が残っている。
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