土岐頼潤
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土岐 頼潤(とき よりみつ、天明8年(1788年)5月 - 文政9年9月22日(1826年10月23日))は、上野国沼田藩の第8代藩主。阿部正倫の五男。正室は有馬頼貴の娘。子に土岐頼寧、土岐頼功室。官位は従五位下、山城守。
天明8年(1788年)5月、江戸で生まれる。幼名は竜五郎。兵部。文化10年(1813年)3月19日、先代藩主の土岐頼布が隠居したため、その養嗣子として後を継いだ。奏者番となる。藩政改革では農村復興や「間引き禁止の触書」などを制定するなどしたが、効果はなかった。文政9年(1826年)9月22日、39歳で死去し、後を養嗣子の土岐頼功が継いだ。墓所:東京都品川区北品川の東海寺春雨庵。
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