土方雄興
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土方 雄興(ひじかた かつおき)は、伊勢菰野藩の第10代藩主。
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 寛政11年1月9日(1799年2月13日) | |||
死没 | 天保9年7月2日(1838年8月21日) | |||
別名 | 彦丸(幼名) | |||
戒名 | 見竜院殿懿徳同応大居士 | |||
墓所 | 東京都文京区湯島の麟祥院 | |||
官位 | 従五位下、主殿頭 | |||
藩 | 伊勢菰野藩主 | |||
氏族 | 土方氏 | |||
父母 | 父:土方義苗 母:田沼意致の娘(田沼意知の養女) |
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兄弟 | 土方雄興、木下義敦、土方義方、 土方義行、折井義孝、松田義保 |
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妻 | 正室:九鬼隆郷の娘 | |||
子 | 2男3女(土方雄嘉、土方興文、 娘(伊東長裕室)、娘(土方久己室)) |
寛政11年(1799年)1月9日、第9代藩主・土方義苗の長男として江戸上屋敷で生まれる。天保6年(1835年)1月、父の隠居により家督を継いで藩主となる。藩政においては藩校・修文館の設立や学問の奨励、財政再建のための倹約令の強化などを行なった。また、雄興自身も和歌に優れた教養人であったという。
しかし天保9年(1838年)7月2日、父に先立って江戸で死去した。享年40。後を長男の雄嘉が継いだ。
なお、若年寄候補にまで推薦されたことがあるが、雄興は藩の財政事情から出費が増大することを恐れて、これを辞退したという。
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