城南宮
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城南宮 | |
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所在地 | 京都市伏見区中島鳥羽離宮町7 |
位置 | 北緯34度57分04秒 東経135度44分48秒 |
主祭神 | 息長帯日売命 八千歳神 国常立尊 |
社格等 | 式内社(小)・府社 |
例祭 | 7月20日 |
城南宮(じょうなんぐう)は、京都市伏見区にある神社である。式内社で、旧社格は府社。「方除の大社」として知られている。
[編集] 祭神
息長帯日売命(神功皇后)、八千歳神(大国主神)、国常立尊を主祭神とし、他に天照皇大神、品陀別命、別雷神、大山咋神、天児屋根命、宇気毛智神を祀る。
[編集] 歴史
創立年代は不詳である。この地にあった式内社「真幡寸神社」に、神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てた旗に神功皇后・八千戈神(大国主神)の神霊を添えて奉斎したのに始まると伝える。平安遷都の際に国常立尊が併祀され、城(平安京)の南にあることから「城南神」と称された。白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部とされ、代々の天皇、上皇がしばしば行幸した。また、貴族の方違の宿所となり、京都御所の裏鬼門を守る神とされたことから、方除け、厄除けの神として信仰されるようになった
応仁の乱などの戦乱で荒廃したが、江戸時代に復興された。幕末には鳥羽伏見の戦いの戦場となった。文久3年(1863年)に孝明天皇が攘夷祈願に行幸した。
明治10年、式内社「真幡寸神社」に比定され、社名を「真幡寸神社」に改称した。昭和43年に「城南宮」に復し、「真幡寸神社」はその境内摂社として、境内に新たに社殿を設けて奉祀されることになった。