基礎付け主義
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基礎付け主義(きそづけしゅぎ, foundationalism)とは、信念や判断の構造に関する立場であり、哲学のさまざまな分野に存在する。
認識論においては、基礎付け主義とは信念が正当化されるのは基本的な信念によって基礎付けられることによってである、という考えを指す。倫理学においては、基礎付け主義とは、倫理的判断が正当化されるのは基礎的な倫理判断によって基礎づけられている場合である、という考え方を指す。
派生的な信念は基本的な信念によって根拠付けられ、基本的な信念は、「自明である」とか、「自らを正当化する」とされる。
たいていの場合、基礎付け主義者たちは、こうした基礎的な信念は、デカルトの明晰判明や「コギトの疑えなさ」などの、それ自体は信念ではない、心理的・精神的な出来事、状況、経験によって正当化されるものとみなしてきた。
したがって基礎付け主義の理論では、「ある信念が認識論的に正当化されるのは、それが直接、あるいは基礎付けの連鎖を遡及していけば究極的には、自明な基本的な信念によって基礎付けられるときだけである」ということになる。
いいかえればこのような立場は、命題の確実さは、絶対確実な疑い得ない根拠から正当化の連鎖によって派生的に与えられるものであるとみなすことでもある。
とくに近年において、基礎付け主義は有力な反論を受けることとなった。
[編集] 古典的基礎づけ主義
デカルトらの古典的基礎付け主義においては、基礎的信念は絶対確実であることが要求される。もしもある信念が絶対確実な基礎的信念から演繹できるのなら、その信念も絶対確実である。 しかし、実際に基礎として働くような信念は絶対確実からはほど遠く、あるいは絶対確実だと思われるような信念は非常に無内容なトートロジーであって他の信念の基礎として働かない。 こうして基礎づけ主義は時代遅れと見なされるようになり、近年では整合説が勢力を持つようになってきた。
[編集] 穏健な基礎づけ主義
古典的基礎づけ主義から、基礎的信念の絶対確実性の要請をとりはらったのが穏健な基礎づけ主義(modest foudationalism)である。基礎的信念の上に他の信念が積み上げられるという正当化の構造は古典的基礎づけ主義と共通である。しかし、基礎的信念は「それ自体で非常に確からしい」といった程度のものが使われ、推論としても演繹的推論だけでなく、帰納的推論も認めることが多い。
[編集] 関連
- 反基礎付け主義
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