多胡碑
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多胡碑(たごひ)は、群馬県多野郡吉井町池字御門にある古碑であり、国の特別史跡に指定されている。山ノ上碑、金井沢碑とともに上野三碑と称される。また、書道史の上から、那須国造碑、多賀城碑と並ぶ日本三大古碑の一つとされる。建碑は、その内容から8世紀後半とされる。
碑身、笠石、台石からなり、材質は安山岩、碑身は高さ125cm、幅60㎝の角柱で6行80文字の漢字が薬研彫りで刻まれている。笠石は高さ25cm、軒幅88cmの方形造りである。台石には「國」の字が刻まれていると言われるが、コンクリートにより補修されているため、現在確認できない。材質は近隣で産出される牛伏砂岩であり、地元では天引石、多胡石と呼ばれている。
その碑文は、711年(和銅4年)3月9日に多胡郡が設置されたことを記念した内容となっているが、その解釈については、未だに意見が分かれている。特に「給羊」の字は古くから注目され、その「羊」の字は方角説、人名説など長い間論争されてきた。現在では人名説が有力とされている。さらに、人名説の中でも「羊」氏を渡来人であるする見解が多く、多胡も多くの胡人を意味するとされている。付近の遺跡からは「羊」の文字の入った文字瓦が発見されており、この説を有力たらしめている。
上野三碑のうち2碑は、多胡碑と内容、形態において性格を異にしている。しかし、3碑が同一郡内の比較的近い範囲に存在することや建碑時期が近いと考えられることから、当時の政治的状況と3碑の関連性が指摘されることもある。
書道の面から見ると、江戸時代に国学者高橋道斎によってその価値を全国に紹介され、その後多くの文人、墨客が多胡碑を訪れている。その価値は清代の中国の書家にも認められた。筆の運びはおおらかで力強く、字体は丸みを帯びた楷書体である。六朝の影響を受けているとも、中国北魏の書風に通ずるとも言われる。
地元では、昔から「羊太夫」の墓とされ、「羊さま」と呼んで尊崇、信仰の対象としてきた。比較的損傷しやすい石碑が、非常に良い状態で保存されてきたのはこのためだと言われる。今も堂宇の中に保存されている。
1954年(昭和29年)、国指定特別史跡に指定される。
[編集] 参考文献
- 吉田金彦『草枕と旅の源流を求めて―万葉の多胡・田子浦の歌』(勉誠出版、2004年) ISBN 4585071172