大和古墳群
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大和古墳群(おおやまとこふんぐん)は、奈良県天理市に所在する古墳群である。
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[編集] 概要
この古墳群を大和古墳群と呼ぶのは、古墳群の西辺に大和神社が鎮座することによる。 大和古墳群では古墳間に余り差がなく、主墳と陪墳という関係ではない。南にある柳本古墳群は主墳と陪墳の傾向が強く、纏向古墳群は主墳と陪墳の関係で構成されているが見て取れる。陪墳といっても強制の殉死をするわけではない。
本古墳郡中最大の前方後円である西殿塚(にしとのづか、234メートル)古墳は、柳本古墳群の行燈山古墳や渋谷古墳に先行して築造された可能性がある。
[編集] 衾田墓
『延喜式』に衾田(ふすまだ)墓とよばれ、大和国山辺郡にあって、兆域東西二町、南北二町、守戸はなく、山辺道勾岡上陵(崇神陵)をして兼ね守らしめると記されている。
現在、宮内庁によって衾田墓には、古墳郡中最大の西殿塚古墳が当てられている。この決定は1882年(明治15)ころになされたものである。ところが、この西殿塚古墳は、今日の考古学の知識では、その形態からも、また円筒埴輪の型式からも、出現期の、おそらく箸墓古墳に続く3世紀末から4世紀初めの前方後円墳と考えられており、とても継体の治世のころの古墳とは云えず、指定は間違っていると言うほかない。
[編集] 主な古墳
郡中には、西殿塚や東殿塚の外に、100メートルから140メートル級の7基の前方後円墳や3基の前方後方墳がある。1986年に吉備的な特殊器台の破片の発見によって、古墳発生期まで遡る可能性の指摘された中山大塚(120メートル)があり、1993年には後円部に竪穴式石室の存在が分かった。