天下一うかれの屑より
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天下一浮かれの屑よりは上方落語の音曲噺 別名「紙屑屋」。踊りや歌舞伎などさまざまな高度な芸が要求される。五代目桂文枝、三遊亭小円、東京で活躍した初代桂小文治などが得意とした。現在では現林家染丸、東京では現春風亭小朝が持ちネタとしている。
あらすじ 紙屑屋の源兵衛の居候となっている能天気な男(居候から「イソ公」と呼ばれている。以下その名称で呼ぶ。)「ちょっとは仕事手伝え」と言われ、長屋で紙屑の仕分けをさせられるが、何せ隣が稽古屋、仕分けする内、女郎からの手紙などや幇間の躍る絵を見ていろんな妄想にとりつかれ、おりしも隣からの三味線に乗って「吉兆まわし」を踊り出す始末、反対隣の家から「うちの婆さんの看病してんのに煩そうてどんならん。」と言われ、源兵衛からも「これ!イソ公、何しとんのじゃ!」と叱られる。
その場は反省するイソ公であったが、義太夫本が出てくると、またぞろ隣の稽古屋の音につられて「義経千本桜・吉野山」を踊りだし、トンボを切って、足で壁を破って反対隣の婆さんを蹴り飛ばす。「あんた、何か、うちの婆さん殺す気か。」「ええっ。何すんねん。あのガキ。また、そんなことをしましたんかいな。・・・これ!イソ公!」「・・ああっ!!源兵衛はん。すんまへん。」と平謝り。
今度こそはと必死に我慢するイソ公であったが、「娘道成寺」の唄本が出てきて、稽古屋からも「道成寺」が聞こえてくる。「あかん。あかんて。あきまへん。・・・」と口で言いながら手足はいつしか踊りだす。「言わず語らず我が思い。」の下りの鞠唄で熱中して踊りだし、止めようとした源兵衛も、長屋の婆さんも一緒に踊り出す。
あきれた反対隣の人から「ここまで言われて躍るとは、あんさんがたはにんげんの屑じゃな。」 「へえ。最前からより分けております。」
その他
「掛取万歳」と同工異曲で、陽気なはめものが入る噺だが、イソ公がやるのは何でもよいのところから、演者によって様々な工夫が凝らされる。いわば演者の芸の見せ所でもある。昭和初期の上方の落語家立花屋千橘は当時人気のあった「道頓堀行進曲」や阪東妻三郎の剣劇映画の活弁を取り入れていた。 サゲは幾つかの芸づくしのあと、サイコロが出てきて「天下一」の目が出て「総取りじゃ」と今まで仕分けていた紙屑をごちゃ混ぜにするというもので題名もここから取っている。 また、「私もより分けて貰おかな。」とサゲる場合もある。