ノート:奥州市
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[編集] 削除依頼中のメモ
- 奥州市の各区は合併特例法に基づく地域自治区だそうです。設置期間は合併から10年間(~H28.3.31)。それぞれの事務所は○○総合支所という名称になります。合併協定項目「地域自治組織の取扱」より--Sasara(T/C) 2005年11月8日 (火) 12:05 (UTC)
[編集] 奥州藤原氏と平泉文化
奥州市が藤原氏と平泉文化の発祥の地だとありましたが、根拠薄弱だと思います。奥州藤原氏の発祥を古くさかのぼるなら亘理郡ですし、新しくみるなら平泉でしょう。また、平泉文化以前に先行する何かが奥州市の範囲にあったわけでもありません。Kinori 2006年2月18日 (土) 13:03 (UTC)
- 確かに、平泉文化の根拠を奥州市と断言するのは、いささかおかしく、削除されるのはいたしかたないと思います。しかし、Kinoriさんは、それとともに、「伝統産業の鋳物(南部鉄器)が有名」の記述から「(南部鉄器)」を削除し、「国内初の公民館」を、「国内発の公民館」に変えたのは、どのような意図があったのでしょうか。Bow 2006年2月20日 (月) 10:42 (UTC)
- 身に覚えのないことです。が、履歴をみると確かに私がそういう編集をしていますね。間違って古い版を編集対象にしたのかもしれません。すみません。以後気をつけます。Kinori 2006年2月20日 (月) 14:10 (UTC)
- 了解しました。公民館のほうの記述は直されてましたので、(南部鉄器)の記述のみ追加させてもらいました。Bow 2006年2月20日 (月) 14:20 (UTC)
- お手間をとらせてしまいました。訂正ありがとうございます。Kinori 2006年2月20日 (月) 14:25 (UTC)
また奥州藤原氏発祥の地と書いてありましたので、削りました。奥州市が仙台藩の城下町だったと書いてありましたので、削りました。こちらは単純な間違いでしょうか。Kinori 2006年12月2日 (土) 17:12 (UTC)
- 219.112.186.179さんが戻してしまいましたが、何か根拠があってのことでしょうか。もしあるなら、何も書かずに差し戻すのではなく、このノートで説明してください。Kinori 2006年12月3日 (日) 16:20 (UTC)
[編集] 市名について
奥州は広域な陸奥国の別称であり、本市はその中心ではなく、中心であった時代もないとしてこの市名に批判的な意見が一部の市民から提出されている。 本市の名称はいわば、地域の歴史に関する知識と認識の有無を問う「踏み絵」のような市名である。 もちろん、奥六州は奥州市の市域にとどまるものではなく、近隣市町村の意向を考えれば批判を受けるのは当然であろう。 しかし、「その中心ではなく、中心であった時代もない」という考え方は間違いである。 学校で習わない歴史は歴史ではないと考えるのが日本人の特徴であるが、果たしてそれが世界に嘲笑を受けない国民のあり方であろうか?
- ご高説、大変深く傾聴し猛省をおこなっております。しかしながら、そのようなご意見は、ご感想の部分を削り、奥六郡が奥州の中心であるか、またあったことがあるかに絞ってご議論いただいたほうが、本事典のノートページにはふさわしかろうかと存じます。まして、本文にはお書き込みにならないようお願いいたします。--Kotoito 2006年2月26日 (日) 06:30 (UTC)
「奥六州」が語源だというのは、どのような資料で得たのでしょうか。奥州市のホームページには名称の由来がありません。名称を決めた合併協議会のサイトでも、やはり名の由来について触れていません。選考理由を読む限り、一般的な奥州と違うものを想定している風には見えません。奥州市の名はかなり注目されましたから、その名の由来が特殊なものであれば取り上げる人がいそうなものですが、グーグルで「奥六州」は1件しかありません。それも2ちゃんねるの書き込みで、奥州市の名の由来とは関係ありません。
自分は古代の東北史について概説書を読んだ程度の知識なら持ち合わせていますが、「奥六州」という表現を知りません。当時の人が郡を州といいかえるのは意外な気がします。奥州市で応募した人、選んだ人が、一般の歴史書に出ない表現を考えていたというのがとても不思議でならないのです。Kinori 2006年2月26日 (日) 19:12 (UTC)
- 返答のないまま編集を続けているようですが、これはつまり返事をする気がないということでしょうか。「奥八州」は特に根拠もなく書いたことと受け止めてよろしいのでしょうか。Kinori 2006年2月28日 (火) 23:34 (UTC)
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- ややとまどいつつコメント。当該部分「奥六州」を投稿された222.150.64.69さんがKinoriさんご指摘以降に編集をしていない(IPが変わっただけかもしれませんが)ので、もしかしてKinoriさんのご質問が私に向けられているかもしれない可能性を考慮して書いておきます。私がしたのは奥六州を奥六郡へのパイプとしたことだけです。私もこのような表現は聞いたことがありませんが、なにか典拠(でっちあげでも市名の選択の根拠となっていればそれはそれで典拠)でもあるのかと思い、ごく一般的な用法である奥六郡へとパイプしたのみです。したがって、私も奥六州という用法すら見たことがない、ということを申し上げておきます。--Kotoito 2006年3月1日 (水) 00:01 (UTC)
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- ああ、違います。IP氏に対する質問でした。誤解を招く書き方で失礼しました。Kinori 2006年3月1日 (水) 02:36 (UTC)
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(確か岩手日報あたりの新聞で見たような・・・)「奥州の中心」と言うのは、単に地図の上でおおむね奥州の真ん中というだけのものであり、奥州の政治経済の中心だというものではありません。投稿する方も選ぶ方もそれくらいはわかっているはずです。 (でも本当にこの名前になるとは・・・)
- 上の方で意見を書いたIP氏と同じ人でしょうか。岩手日報で見たというのは「奥州市とは奥六州の略」という説ですか。合併協議会の市名決定は、住民に一枚ずつ応募葉書を配って市名を募集し、その中から小委員会がいくつかに絞り込み、合併協議会が決めるという手順を踏んでいます。例にもれずここでも募集はみせかけだったという可能性はあるのですが、形式はこうです。岩手日報が得たという情報はいったいどこの誰が発表したものなのかが問題になります。応募の段階でみながみな「奥六州」を理由にしたというのは考えにくいことです。小委員会の理由は、全国的な位置がわかりやすく歴史にもあうということで、奥六州には言及していません。もし「奥六州」なのだとしたら、全国的に何も知られていない名前ということになりますから、ここで考えていたのは陸奥国でしょう。協議会がさらにこれを変更し、奥六州からということにしようと決めたというのもにわかに信じがたいところです。新聞で見た記憶があるというのを疑うわけではありませんが、それははたして正式のものなのでしょうか。誰かがそう言ったというレベルの話ではないでしょうか。Kinori 2006年3月8日 (水) 20:20 (UTC)
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- 一週間たってもお返事がいただけませんでした。「奥六州→奥州」は市の公式のものではないというのは確からしいですし、「見たような記憶」を記事に記すわけにもいきません。奥州市の奥州が陸奥国であることは、ウェブ上のサイトを眺め渡すかぎり誰も疑っていません。それを踏まえて市名の由来を書きます。Kinori 2006年3月15日 (水) 13:03 (UTC)
市名が住民から批判されているという加筆がありましたが、それをウィキペディアに記す必要はないと思います。およそ行政のすることには、何かと住民から批判があるものです。批判があるというだけなら特にそれを記さず、批判が非常な盛り上がりを見せたときにだけ記すのがよいと思います。「との批判がある」の安易な書き込みを許すと、ウィキペディアを意見・主張の開陳の場にしてしまいます。
例えば、私が執筆した記事の場合、青葉通りでは市議会の与党会派を分裂させ国の大臣をひっぱり出す事態になったこと、大年寺山では監査請求期間の起算点についての最高裁判例を出したことをもって、取り上げるに足るとしました。奥州市の市名では、住民が改名運動をはじめて住民投票に持ち込むような情勢があるなら取り上げるべきだと思いますが、単に市民の不満の声がメディアのインタビューで出たとか、反対のウェブサイトがあったとかいう程度なら不足です。Kinori 2006年3月15日 (水) 14:25 (UTC)