妻木晩田遺跡
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妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)は、鳥取県西伯郡大山町富岡・妻木・長田から米子市淀江町福岡に所在する国内最大級の弥生集落遺跡。
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[編集] 概要
大山山系から続く丘陵(通称「晩田山」)上に位置し、美保湾(日本海)を一望できる。1995年から1998年にかけて、ゴルフ場建設計画に伴い、大山町と淀江町の教育委員会により発掘調査が行われ、全国的な保存運動も展開された結果、1999年11月19日に国史跡に指定され、鳥取県によって保存・整備がはかられている。
標高90~120m前後(平野部との比高差-100m前後)の尾根上を中心に立地し、面積約170haに及ぶ。この調査までに17.2haが調査され、集落関係では竪穴住居395基、掘建柱建物跡502基、墳丘墓(四隅突出型墳丘墓含む)24基、環壕等が検出されている。一連の集落は弥生時代後期を中心に中期終わり頃から古墳時代前期初頭にわたって営まれている。いわゆる倭国大乱の影響とされる高地性集落であるが、比較的大規模で長期にわたる例は少なく、注目される。
集落は、概ね東側が居住地区、西側の丘陵先端が首長の墓域といった構成で、後期中頃以前には洞ノ原(どうのはら)地区の最西端に環壕が機能していたものと考えられる。また居住地区は竪穴住居と掘建柱建物各3~4棟の単位によって構成されるものと見られ、弥生時代後期終り頃以降では鍛冶、玉造り、土器焼成などの活動が認められる。更に最高所に位置する松尾頭地区では、祭殿や首長の住居と推定される建物跡も確認されている。
竪穴住居は、全部で700ぐらいある。その中の大部分は小さくて深く、直径3~6メートル、深さ1メートルぐらいで、外から見ると屋根しか見えない。大きい竪穴住居は浅くて、直径6~8メートル、深さ0.5~0.7メートルぐらいで、外から見ても壁が見える。このように想像され、小さい方は土屋根で、大きい方は草葺き屋根であろうと推測出来る。さらに、大型建物のそばには、先に述べた大きい竪穴住居が必ずといっていいほどある。これこそ有力者の住宅であろうと考えられている。弥生の終わりの3世紀中頃から4世紀ぐらいまでにかけて、有力者も竪穴住居に居住していたと思われる。
遺物は、土器、石器(調理具・農工具・狩猟具・武器)、鉄器(農工具・武器)、破鏡等が出土している。鉄器は鉇・斧・鑿・穿孔具・鍬鍬先・鎌・鉄鏃等、弥生時代のもののみで197点が出土しており、大陸性のものも確認されている。
[編集] 資料
- 『妻木晩田遺跡発掘調査報告(大山町埋蔵文化財調査報告書第17集)』2000 大山町教育委員会
- 『妻木晩田遺跡 洞ノ原地区・晩田山古墳群(淀江町埋蔵文化財調査報告書第50集)』2000 淀江町教育委員会
- 『史跡妻木晩田遺跡第4次発掘調査報告書』2003 鳥取県教育委員会
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