孟知祥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
孟知祥(もうちしょう、874年 - 934年)は五代十国時代後蜀の初代帝王。字は保胤、在位期間は934年、廟号は高祖である。
目次 |
[編集] 生涯
孟知祥は邢州龍岡に孟道の子として生まれる。父や叔父と共に李存勗の下で武将として転戦していた。李存勗が前蜀を滅ぼすと,後唐より西川節度使に封じられ、成都の地で勢力を蓄えた。
その強勢なことを警戒した後唐の明荘は孟知祥に対する抑制を強めてゆく。これに反発した孟知祥は後唐に対し930年に挙兵を起こすに及び、932年には蜀より後唐勢力を駆逐、翌年には懐柔策に転向した後唐より蜀王として封じられた。
934年に孟知祥は後唐の継承争いに乗じて自立,国号を大蜀とし、自らも皇帝を自称し、明徳と改元している。しかし即位後僅か7ヶ月で没した。
[編集] 子女
[編集] 子
- 孟昶
[編集] 年号
|
|