宮永正好
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宮永正好(みやなが まさよし)は農学者。宮永正運の長男として越中砺波郡下川崎村(現在の富山県小矢部市下川崎)に生まれた。生年不詳も、安永元年(1772年)頃と推定、没年も不詳。恒右衛門と称したが、父正運の跡をついで、六代目宮永十右衛門正好となり、加賀藩の山廻役を勤めた。文化11年(1814年)に長男正作(七代目宮永十左衛門)に家督と加賀藩の山廻役を譲った。その後、文化13年(1816年)に「農業談拾遺雑録」を著した。これは、父正運の著書『私家農業談』の補足版ともいえる内容で、農家の分限、稲作、裏作、河川による水害などに備え、貯蓄と救荒の必要性を説いた。『農政全書』『斉民要術』など多くの農書を引用し、土台にしているが、砺波地方の経済事情や習慣をふまえ注釈をつけている。また、父正運が養蚕についての老農の話などをまとめていた聞き書きを一冊に書き写し、まとめて「養蚕私記」を宮永正運著として世に出した。
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