小倉智昭の夕焼けアタックル
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『小倉智昭の夕焼けアタックル』(おぐらともあきのゆうやけ-)は、1992年10月5日から1999年4月1日(野村邦丸の夕焼けアタックルを含めると1999年4月2日)に文化放送で放送していた夕方のラジオのワイド番組。
なお、以下では『小倉智昭の夕焼けアタックル』を『小倉』、『野村邦丸の夕焼けアタックル』を『邦丸』と表記する。
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[編集] 概要
前身番組は平日17:00からの『小倉智昭のニュースアタックル』。1992年10月から放送枠拡大・番組リニューアルをし放送開始になった。放送時間は平日の16:00~17:50。なお、当時13:00より放送されていた『吉田照美のやる気MANMAN!』が、この番組の放送開始と同時に放送終了を15:00から16:00としている。
[編集] 主なタイムテーブル
- 16:00 オープニング
- 16:05 アンターネット
- 16:22 日本火災の救急速報
- 16:25 東京オンザロード
- 16:30 交通情報&天気
- 16:40 夕焼け国語辞典
- 16:50 クイズ夕焼けアタックル(金曜日は「クイズ夕焼けアタックルスペシャル」)
- 16:55 交通情報
- 16:56 電話・メールを紹介
- 17:00 ニュース・パレード
- 17:14 交通情報
- 17:16 心配ご無用(終了する半年前からは「女の気持ち男の気持ち」)
- 17:25 アンターネットパート2(電話・メールを紹介)
- 17:30 日本火災の救急速報とこの後の番組を紹介
- 17:33 川中美幸 人・うた・心
- 17:40 交通情報
- 17:42 エンディング(電話・メールを紹介)
※番組開始当初からしばらくはエンディングの前に「都民マイク」のコーナーがあったが、テーマ曲(リニューアル後)以降はエンディングの後に「都民マイク」が独立して放送されるようになった。(その後放送枠が昼に移りさらに数年後の改編で消滅している。終了の理由は東京都の財政事情が原因らしい。)
[編集] パーソナリティ
- 開始当初~1993.3
- 小倉智昭 館野順子
- 1993.4~1997.3(月曜日~金曜日)
- 小倉智昭 永野景子アナウンサー
- 1997.4~1999.3(月曜日~木曜日)
- 小倉智昭 永野景子アナウンサー
- 1997.4~1998.9(金曜日)
- 野村邦丸アナウンサー 永野景子アナウンサー
- 1998.10~1999.3(金曜日)
- 野村邦丸アナウンサー 鈴木純子アナウンサー
1997年3月末で小倉智昭が金曜日を降板した理由は当時、フジテレビと関西テレビ東京支社の共同制作で 毎週金曜日夜7時からのバラエティー番組の司会を都内のスタジオで毎週金曜日の午後から夕方に収録していたからである。(なお、この枠はその後数年間 続いた。現在は解消されている。) なお、1999年4月2日の最終回(金曜日)では通常の邦丸、鈴木に加えて、番組の途中から永野も参加して、トークを行っていた。
[編集] コーナー紹介
[編集] 東京オンザロード
- 首都圏の一般道や高速道路、またサービスエリアや道路の工事状況について伝えるコーナー。金曜日はリスナーから道に関するお便りを紹介していた。このコーナーは後番組の『野村邦丸の気分はZUNZUN!』、『辻よしなり ラジオグラフィティ』においても放送された。この番組では「東京気まぐれショータイム・東京オンザロード」と紹介していた。
[編集] 夕焼け国語辞典
- ある言葉や表現を、小倉版(邦丸版)国語辞典を用いて紹介し、その後小倉(邦丸)がそこからトークするというもの。(載っていた用語の例として「プロとアマとの境界線」など)
- このコーナーはナイターオフ期間を中心に一部地方局にもネットされた。(地方局での放送は録音番組として)
[編集] クイズ夕焼けアタックル
- 『小倉』では、クイズに電話でエントリーした人の中から、抽選した上で、挑戦者を決定する。そして小倉が挑戦者に三択の問題を出題する。
- 『邦丸』では、当初は『小倉』と同様のシステムで行っていた。しかし、ペイントハウスがコーナースポンサーになった頃から、家をリフォームした人の家に文化放送アナウンサー寺島尚正が訪問、中継を行い、住まいなどの感想を聞いた後、番組で別に抽選し、当選したリスナーと結んで行った。出題はペイントハウスでリフォームした家の人が行う。なお、小倉休暇時に邦丸が進行する時は『小倉』と同じ方法で行っていた。
- 『小倉』『邦丸』共通ルールとして、賞金は1万円からスタートし、挑戦者が不正解になると賞金がたまり、正解するとその賞金は挑戦者の物となる。なお、賞金は『小倉』『邦丸』関係なく引き継がれる。
[編集] 心配ご無用
- 月曜日から水曜日は、リスナーからの健康の悩みに小倉が答えた上で、専門の医師からの回答を紹介していた。金曜日はこのパターンを邦丸が行っていた。
- 木曜日は、小倉が東京都医師会の方と健康についてトークしていた。
- このコーナーの時のみ小倉は「ハマー小倉」、邦丸は「デーブ野村」という名前を使っていた。
- 採用された人には心配ご無用特製のテレフォンカードをプレゼントしていた。
[編集] 主なハプニング等
- 小倉の妙な発言
- 「女の気持ち男の気持ち」のコーナーで、おそらく番組自体が終了することが決定していたからであると思われるが、「・・・それから今日からこのコーナーではお便りを募集致しません」という妙な発言をしていた。
- 小倉一時逃亡?
- ある時アンターネットパート2の時間に、小倉がその日のテーマに不満だったのか近くにあったゴルフ雑誌を見、「俺この雑誌読みたい」といって、一時スタジオを逃亡し、アシスタントの永野アナウンサーが電話とファックスを紹介した。
- エンディング手抜き?
- ある時永野アナウンサーから何かを指摘されたところ、小倉は「また来週!わたしは月曜日!さよなら」といって番組を終了させ、エンディングの2~3分をエンディングテーマでつないだ。
- ドッキリ
- ある週の金曜日、トークの展開から邦丸が「小倉さんのお気に入りの上着なんだけど、ダサいよね」と小倉の悪口を展開し、当時のアシスタントの永野アナウンサーも笑っていた。しかし、その話が終わった途端、スタジオの扉が開き、そこにはいるはずがない小倉の姿が・・・、邦丸は焦った様子(後に「干される」ことも覚悟したと言っている)だったが、お咎めなし。スタッフらによるドッキリだった。しかし、この放送を聴いた小倉の夫人はその上着をしまいこみ、決して小倉に着せようとしなかったと言う。
[編集] その他
- 番組のテーマ曲は当初なかったが、途中で小倉智昭が歌う「心のラジオDJ」をテーマ曲として使われるようになって最終回まで流れていた。(当初は2パターンあったが、その後リニューアルされた。)
- この番組内に『ニュース・パレード』があり、小倉がニュースを読んだ(但し小倉は「5時のニュース」と呼んでいた)ため、この番組が小倉のラジオ全国ネットデビューとなった。
- 小倉が「さあ続いては川中美幸さんの登場です!」と紹介する時、とてもテンションが高かった。
- 小倉は夏に定期的にお休みを取り、その間を文化放送のアナウンサー(『邦丸』開始後は野村邦丸が担当)が務めていた。しかし、この時期に放送されていたフジテレビの『どうーなってるの?!』には出演していた。
- 1997年6月にはTBS系『そこが知りたい』のカメラが、このスタジオに入っている。
- この番組の終了時期(1999年3月頃)に、1999年4月から現在も続くフジテレビ系『情報プレゼンター とくダネ!』がスタートすることを発表したが、小倉はこの番組は『とくダネ!』が始まるために終わるわけではないと話していた。
文化放送 月~金曜夕方ワイド(16:00-17:50枠) | ||
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