小田原評定
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小田原評定(おだわらひょうじょう)は戦国大名の後北条家の重臣会議のこと。月2回開かれ、諸事を決した。
当時には独創的な制度であり、五代にわたって家臣・国人の裏切りが皆無に近い後北条家の強さの裏付けと考えられている。しかし、その中でも有名なのは小田原合戦の時の戦術を巡る論争である。老臣松田憲秀は籠城を主張したのに対し、北条氏康の四男である北条氏邦は箱根に出撃する野戦主張して意見が分かれたが、小田原城は過去に武田信玄や上杉謙信などを籠城戦で退けたという前例があったため籠城と決した。
[編集] 諺としての小田原評定
上記の故事から小田原評定と言う諺もありフランス皇帝ナポレオン1世失脚後の欧州の新秩序を確立させたウィーン会議に因んだ故事「会議は踊る、されど進まず」(Der Kongress tanzt, aber er geht nicht weiter)と同様に「いつになっても決まらない会議や相談」などに使われる。