小若江村
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小若江村(こわかえむら)は、明治22年(1889年)4月1日まで若江郡に存在した村。
村域は、現在の大阪府東大阪市小若江にほぼ等しい。一部、旧上小阪村の村域が小若江4丁目に含まれている。明治22年(1889年)4月1日に近江堂村、友井村と合併し、弥刀村となった。大正14年(1925年)に日本大学によって日本大学大阪専門学校がこの村に設置され、それが現在の近畿大学へと発展した。この日本大学大阪専門学校の誘致に取り組んだのが、小若江村の庄屋の家柄であった武村家当主であった武村亀二郎氏であった。中河内郡には「怖い小若江、恐ろし近江堂」という言葉が現在も伝わっており、他村から農事に励む両村の農民を指してそのように表現されるほど小若江村の農民は農事に励んだといわれている。現在は近畿大学の学生の町となり、それらの農家の多くが学生向けのワンルームマンションなどのオーナーに転進している。
また、近畿日本鉄道(当時は大軌)が上記の武村亀二郎氏の誘致により早くからひかれたことから、この地域は戦前(大正年間)から住宅地として開け、現在でも築年数が70年を越える住宅が多く見られる。現在、再開発の必要性が叫ばれているものの、借地権や借家権などの問題から再開発は遅れておる。ただし、学生街に多く見受けられる学生向けの低価格の飲食店や24時間営業のスーパーマーケット、コンビニエンスストアなどが多く、生活の利便性は高い。また、平地が多く、坂といえるような高低差はわずかに村の西端にある旧大和川(現在の長瀬川)の堤防跡の緩やかな坂のみであり、学生のほとんどはそれが坂であることすらわからないというほど平坦な地域で、自転車などでの移動が容易であることから近江堂に並び近畿大学の学生の人気の地域のひとつとなっている。
参考:武村土地の歴史