山内積良
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山内 積良(やまうち せきりょう、? - 1949年)は、第2代任天堂代表取締役社長。3代目社長である山内溥は孫にあたる。
苗字は「山内」だが、初代社長山内房治郎の実子ではなく、男児に恵まれなかった房治郎が娘の婿養子として受け入れた養子である(本名は金田 積良)。
[編集] 社長業
1929年に2代目社長に就任。社長としては、養父の家督を相続し、養父の花札生産業をいっそう発展させた。
1933年には合名会社山内任天堂を設立、手狭になってしまった任天堂本社を移転させ、同時に生産機構の合理化、経営効率の改善をおこなった。(現在、ここは事務所兼倉庫になっている)
1947年には、卸専門の子会社「株式会社丸福」を設立、同時にカルタ・トランプの自主流通を始める。現在この会社は存在しないが、任天堂製の花札ブランドとして、花札のパッケージに丸福の印は残っている。
[編集] 跡継ぎ問題
彼も養父同様、家督を相続すべき男児に恵まれず(戦前の民法では家督相続者は「長男」でなければいけなかった)、長女の婿養子に工芸家出身の稲葉鹿之丞を迎え入れ、二人の間に念願の長男「博(=山内溥)」が生まれる。 しかし、鹿之丞が突如出奔してしまい、わずか22歳の博が後に家督を継ぐことになる。
1949年、家督をわずか22歳の博に託し、病でこの世を去る。その直前、博の「任天堂で働く山内家の者は自分以外に必要ない」と言う条件を呑み、会社にいた山内家の従兄弟達を会社から退けた。
[編集] 関連項目
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