山松ゆうきち
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山松ゆうきち(やままつ ゆうきち、1948年7月8日 - )は、漫画家。主に劇画雑誌や麻雀コミック誌等で、ギャンブルや、救いのない、または救い様のない人々を、ペーソスに溢れ、いかにもだらしない絵柄で描く土着的とも言える作風で、コアなファンからの評価を得る。 代表作としては『2年D組上杉治』『エラヅヨの殺し屋』など。
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[編集] 略歴
鳥取県倉吉市出身。1964年に日の丸文庫の貸本漫画でデビュー。山上たつひこらと、日の丸文庫の編集にたずさわる。1967年に、芳文社「週刊漫画TIMES」で雑誌デビューする。
映画「津軽じょんがら節」(1973)に出演。
2005年、平田弘史の『血だるま剣法』のヒンディー語版をインドで出版。同年末より、その顛末を漫画化した『インドへ馬鹿がやって来た』を漫画ゴラクネクスターにて連載開始(著者ひさびさの連載漫画作品)。
[編集] 作品
『天元坊』は、江戸時代の貧しい百姓の子供が囲碁の才能でのし上がっていく本格ストーリー漫画で、その後「囲碁クラブ」誌で囲碁エッセイ風漫画『俺は天才だろうか』の連載もした。
[編集] 単行本リスト
- 『くそばばあの詩』青林堂 1973年
- 『がんばれ番長』朝日ソノラマ 1974年
- 『しりあす甚一』 双葉社 1976年 (原作鈴木博)
- 『プロフェッショナル列伝』双葉社 1977年 (原案田中義幸)
- 『天元坊 (全2巻)』双葉社 1978年
- 『2年D組上杉治』けいせい出版 1980年
- 『自炊男爵飄々記』双葉社 1980年
- 『エラヅヨの殺し屋』竹書房 1982年
- 『怪力エンヤコーラ』青林堂 1983年
- 『西子・或る女雀師の一生』竹書房 1983年
- 『ミスターごっと』竹書房 1983年
- 『ニッポン玄人考』講談社 1985年 (原作七三太郎)
- 『ギャンブル馬鹿』日本文芸社 1985年 (原作牛次郎)
- 『花咲ヶ丘24時』双葉社 1986年
- 『万の病をもつ男』講談社 1986年
- 『私、ビョーキの味方です』壱番館書房 1986年
- 『万病マージャン』講談社 1989年
- 『にっぽん自転車王』 日本文芸社 1990年
- 『原色ギャンブル図鑑』スタジオシップ 1990年
- 『立川ウィンズ通り (1)』秋田書店 1991年
- 『人間必勝法』ヒット出版 1992年
- 『外人パチンカー』ヒット出版 1992年
- 『にっぽん神童伝』日本文芸社 1993年
- 『山松ゆうきちの笑激情 (全3巻)』オハヨー出版
- 『故郷の勝負師たち』けいせい文庫
- 『恍惚村騒動記』けいせい文庫
- 『ああ!!あとがない 山松ゆうきち自選短編集(1)』青林堂 2002年
- 『中年死刑囚 山松ゆうきち自選短編集(2)』青林堂 2002年
- 『山松Very Best of Early Years』青林工藝舎 2003年
[編集] 参考文献
『アックス (45号)』青林工藝舎 2005年 「特集/インド・夢・漢」