島津忠宗 (越前家)
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島津忠宗(しまづただむね、建治1年(1275年) - 元応1年(1319年)?)は鎌倉時代後期の武将・歌人。越前島津氏忠景の子。本宗家島津氏の忠宗(久経の嫡子)とは別人。五郎左衛門尉、大夫判官、豊後守。従五位下。知覧(院)氏の祖。「島津氏系図」(『越前島津家文書』所収)に「応長九年死去年四十五」と記録があるが、応長は2年で終わっていることから(1311年~1312年)、応長1年(1311年)から数えて9年目の元応1年(1319年)没を意味すると思われる。
和歌に優れ、『続千載和歌集』、『新後撰和歌集』に詠歌が残る。これらの作品を本宗家の忠宗の作品とする場合が多いが、『勅撰作者部類』には「惟宗(島津)忠宗 常陸介忠景男」と明記があり、また父忠景・子忠秀がともに勅撰作者である家系的な側面から考えても、越前家の忠宗の作とみる方が自然である。